『転職のバイブル2012年版』(佐藤文男著)

 著者は大学の同級生です。さらには著者である佐藤君がわざわざ僕のオフィスまで来てプレゼントしてくれた本です。なので「中立」的なご紹介ではありませんが、この本は転職だけでなく、これからのキャリアを考えているすべての社会人に参考になる情報と考え方が書かれていると、心から思いました。

 この『転職のバイブル』は2006年、2008年、2010年、そしてこの2012年版とでています。これだけよく続けて出すなと感心しています。(「継続は力なり!」)

 全体を通して、著者は率直です。

 「転職あるべき論」には以下の5つがあげられています。

1今の会社で仕事がうまくいない人は、転職先でもうまくいかない

2転職は、年齢よりも実力

3年収が高い仕事はそれだけ高い成果を求められる

4人間関係がうまくいかないから転職するという人は、転職先でもうまくいかない

5仕事に対するプロフェッショナリズムが必須。

 また、「チャンスを活かす転職成功26の鉄則」(第5章)というのがあって、このなかには、「会社に退職の意志を伝えたら、決して撤回しない」(鉄則12)とか、「引き継ぎができないなら辞めてはいけない」(鉄則13)なんていうのがあって、これらは入社前編。入社後編としては、「一事が万事!初日が肝心」(鉄則16)、「フラッシュバック症候群に負けない心」(鉄則19)、「ホームランはいらない。着実なヒットを狙え」(鉄則22)などなど、これらの鉄則も非常に参考になります。

 しばらくお休みしていますが、昨年末に行ったポッドキャスティング「アイデアエクスチェンジ」にもでてもらっています。こちらもぜひお聞きいただければ幸いです。

 著者と僕のベクトルは、在学中から続く時間軸のなかで、何年かごとに交わってきました。これからもお互い、健康で、しっかりと働き続けることができればいいなと心から思っています。

アイデアエクスチェンジ

 

 

朝7時、新東京ビルのスタバで。

 小社が入っている丸の内の新東京ビル一階にあるスターバックス。午前7時代はまるで図書館みたい。今朝もカップ値引きしてもらって280円のドリップコーヒーを買いに行った時、ぱっと見渡してみると8割くらいの人が、なんらかのテキストをにらみながら仕事の前の「勉強」や「読書」に励んでいた。

 そんな風景が好き。人によって違いはあるだろうけど、若いうち、20代半ばから後半までで人生の基礎はほとんどが決まってしまう。だから若いうちこそ、時間を大切にしなくちゃ。

ペットたちといっしょに生活できる日

 我が家もそうですが、ペットの犬たちは家族の一員になっています。決して優秀とは言えないかもしれない我が家の甲斐犬たちも、苦しい時もうれしい時も一緒に過ごしてきた仲間でもあります。毎日めんどうなことをしてくれる彼らは、楽しみも与えてくれる存在です。

 東日本大震災で被災され、愛するペットたちを亡くしたという方たちもたくさんいらっしゃるのではないかと思います。当然と言えば当然なのでしょうが、犠牲者の中にはペットたちは数えられておらず、津波がさらっていったペットたちはきっとかなりの数になるのではないかと想像します。

 運良く、ペットたちを救うことができた家庭でも、家をなくしてしまったなら、ペットたちといっしょに生活することはかなり難しくなっているはずです。避難所ではペットたちといっしょにいられないということで、我慢して自動車の中で寝泊まりする人たちがいるという記事を読みました。避難所ではペットには存在場所はないのだろうと思います。夜、犬が好きでない人たちからすると、吠える犬は睡眠妨害でしかないでしょうから。

 ペットたちといっしょに生活できる日がまた来ることがあれば、それは復旧が成果を上げてきたというひとつの現れのようにも思います。被災された方々に、そんな日が早く来ることを祈っています。

「あなたのがんばり、被災地へとどけ」

社員の人たちの提案で、東日本大震災の被害者の皆さんのために、「あなたのがんばり、被災地へとどけ」という受験キャンペーンを始めます。微力ですが、このあとにも、われわれができることを企画し、実行していきたいと思います。

「あなたのがんばり、被災地へとどけ」

それほど早くは動けない。

 僕が住む町でも数日前まではガソリンスタンドの多くが休業状態だったのに、昨日は営業していた。それも制限販売ではなく、満タンもOKだった。ただし、なじみのスーパーに行くと、生鮮食料品の棚にはほとんどなにもなかった。上水道は復活したけども、下水道が復活していないため生鮮食料品の衛生管理ができない、よって販売は控える、ということだった。もしかしたら、それプラスで、東北エリアからの野菜が入っていないのかもしれない。
 
 今週、アメリカの投資情報紙「バロンズ」が日本株は買いだという記事を出した。それをまた日経新聞が安直に簡約して記事として出していた(バロンズの記事、中身は大した記事ではないのだけど)。先週、あれだけ狼狽売りがでた株式市場は、今週に入ってなんとなくあがっている。

 ものごとは、みんなが思いたいほど速いスピードで復旧に向かっているのだろうか。もうこれですべて、おわりなのだろうか?(毎日余震の連続だ)。

 東京に住む人たちはほとんど被害を受けていない(少々街が暗くなったって、いいじゃないか)。野球界のボスたちに至っては、2万人の人たちが犠牲になり、さらに東北エリアのいくつかの町は実質的に消滅したということさえ忘れようとしているのではないか(そうでなくて、どうしてあれだけ自分たちの利益のことだけを考えられるのだろうか)。

 僕が住む町はかなりの被害を受けているけども、それは首都圏では例外的なことかもしれない。昨日の夜は計画停電があり、さらに下水道の復旧にめどがつかないこともあって、川を越えた某所にある銭湯は、同じ町に住む人たち(お風呂難民)で商売繁盛だった(銭湯は大好きだよ!)。下水道の復旧のあと、液状化のため傷んでしまった道路や傾いてしまった家々、これらの修理には一体どれだけの時間とお金がかかるのだろうか。特に個人の家々。数年前、市庁舎建設の話があったけども、あれは中止にして良かった。

 ものごとは多くの人が期待するほど、あるいは忘れたいほど早いスピードでは動いていないし、動くべきでもないように思う。被害を受けた人間の生活はそう簡単には元通りにはならない。金融市場、あまり被害を受けていない都市部の人たちはそう期待したいだろうけども。2万人をこえる東北エリアの人たちが亡くなり、いくつかの町は津波ととも消えていったというのに、どうしてそんなことが起こらなかったかのように、3.11前と同様の経済活動を行えるというのか。福島の人たちのことを見ないふりして電力を使いっぱなしというわけにはもういかない。(予定通りイベントが行われるのなら、僕は来月福島の郡山で少人数の人たちにお話をさせてもらうことになっている)

 深く考えないで行動しても、同じ間違いのくり返し。飛ぶためには一度は屈まないと。だからこそ、「ゆっくり、いそげ」。また復旧、復興の努力をしている人たちを忘れないで、支援すること。(でもテレビは恐る恐る、以前のようなバカ番組をまた始めようとしている。)

 それにしても、第2次世界大戦の犠牲者数はすごかったと改めて思う。日本だけでも200万人を越える軍人が、100万人近い一般人が死んだ。祖父や祖母たちの世代の人たちは、戦後どんな思いで生きてきたのか。

「はやぶさ」式思考法(川口淳一郎著)

 久しぶりに心の底から共感し、同感し、また称賛する本に出会った。副題には「日本を復活させる24の提言」とあるけども、日本の復活の前に、まず個人の力の復活が必要で、ここにある24の提言はまず我々個々人の復活のために重要な提言だと思いながら読んだ。

 僕自身、日本の学校教育の産物の一人だと自覚している。その結果として、減点法の思考の罠に陥りがちだし、教科書に書かれた過去のことを学ぶことを良しとしてきたのかもしれない。そんな風に自分自身のことをずっと感じ、自分自身の「バカの壁」はそんなところにあるとも思ってきた人間なので、この本を読みながら著者の提言には心から同感もし、著者の提言をどう自分の日々の仕事の中、生き方の中に生かしていくべきかを考え続けていきたいと思っている。

 はやぶさプロジェクトのことなど、昨年新聞等で騒がれるまで一切知らなかった。最近、著者である川口さんが新聞に書かれたエッセイやコメントを読んで非常におもしろい方だなと思い、この本を読んでみたが、期待以上の内容の本だった。社内でも非常におススメの本として紹介している。

 今朝、同じ著者による別の本(『はやぶさ、そうまでして君は』)という本を買った。この本の副題は、「生みの親がはじめて明かすプロジェクト秘話」とある。この本もすごく楽しみ。

東北エリア、北関東の会場の皆さん、ありがとうございます。

 小社の試験会場として、MOSをはじめとする資格試験を実施いただいている会場は、全国に1700程度あります。もちろん、東北、北関東エリアでも多数のパソコンスクールや教育、職業訓練の団体が試験を実施されています。
 
 今回の東日本大震災の影響を受けた会場も多々ありますが、先日より元気なお便りを多数いただいています。また昨日は、東北エリアでパソコンスクールを展開されている会社の方から、行方不明になっていた社員のご家族の方が見つかり、すべての関係者の生存が確認できたというお電話をいただきました。

 地震発生以来、たいへんな毎日を送られている皆さんからのお便り、ご連絡に、厚く感謝申し上げます。

 まったくレベルは違いますが、わが家、わが家のあるエリアも被災者のお仲間です。毎日不便な思いをしていますが、東北や北関東の多くの皆さんとは較べものにならないほど、ありがたい状況かと思っています。すくなくとも半年、長ければ一年くらいは不便な状況が続くと覚悟していますが、カイ、クウ太郎たちといっしょに、明るく、たくましくビジネスに励んでいきたいです。

「生活仕分け」のいい機会だと思っています。

 実は我が家があるエリアも東北や北関東の一部ほどではありませんが、「被災地」にはいっています。下水道ほか社会インフラが破壊されています。結果、この一週間、家では洗濯はもちろんのこと、シャワーやトイレも使うことはできませんし、暖房も使っていません。まあ、その程度の不便なので、被災地と言っても今のところはたいしたことはありません。ただ、これらが長引きそうなので、影響を受けるわれわれの気持ちは少し荒れていくのではないかとも危惧しています。

 コンビニやスーパーに行くと、買い占められてなくなったもの、棚がさびしい状態になったコーナーがあるかと思うと、まったく欠品になっていない「壁の花」の商品があって、誰からもお呼びのかからない商品たちがちょっとかわいそうでもあります。

 でも、それを見ると、いま本当に大切なものは何で、贅沢品や不要なものが何か、はっきりと現れているように思います。太りすぎの生活の中で、必要もないもの、さらに害があるものへの依存症があったとも言えますし。

 いまはこれまでのライフスタイルや消費パターン、モノとのつきあい方などを見直すとてもいいチャンスだと思っています。政府だけでなく、仕分けが必要なのは、僕らの生活から。「生活仕分け」のいいチャンス。

野球ファンには申し訳ありませんが、開幕戦には反対します。

 これだけの被害者を出し、まだ行方不明の方たちが大勢いて、首都圏では皆が節電に協力している中、「被害者を勇気づける」という自分勝手にも思えるスローガンのもと、多大な電力を使って開幕戦を押し切ってでもやろうとするプロ野球のオーナーたちの姿勢には反対します。

 昨日も書きましたが、Jリーグの決断にはエールを送ります。Jリーグの場合には、外人監督たちが放射線を浴びる怖れから日本を離れてしまい、試合ができないという現実的な状況があるからかもしれませんが、すくなくとも今月一杯はプロ野球も様子を見るべきだと思います。

 プロ野球のオーナーたち、理事たちは、石原都知事風に言うと、「我欲」にとらわれた集団に見えます。もしやるのなら、今月中行う試合からの収益をすべて寄付するくらいのこと、考えてもらえないでしょうか。

 また、これだけ節電を訴えている政府は、毎日、綱渡りを行っているのに、どうして中止協力のお願いを出せないのか。そうすれば、節電の訴えにもっと国民からの理解がえられるでしょう。

 もちろん、僕は経済統制とかには大反対です。でも、野球のように、目の前の生き死にには関係ないことが多大な電力消費を行うことが許されるのか?

 同じスポーツのように見えて、高校野球とプロ野球は違います。甲子園で東北の選手たちが出場し、懸命に野球をやることは、きっと地元の人たちにも「勇気と希望」を与えてくれるでしょう。それはプロ野球と違ってお金とは距離をおいた行為だから。でもプロ野球は興行の世界であり、お金と引き換えに見てもらうエンターテイメントです。性格に大きな違いがあります。

 選手会は、開幕戦実施に反対の声が強いと聞きます。オーナーや理事たちよりも、ずっと常識を持っているなと感心しました。

追記

多くの外資系企業や外国人たちが東京、日本から「脱出」しています。そんななか、東京は大丈夫だ、日本は元気にやっている、それをアピールするためにこそ野球だなんて発想が、どれだけ意味のないことなのか。正確な情報と、冷静な判断(結果、正しいかどうかは別)に基づいて意思決定したい。

夢や希望の前に、現実的な支援を。

 (これはあくまでも僕の考え。賛成してもらう必要はないよ。決して悪意で書いているのでないことは分かってほしいけど)

 通常業務、通常の経済活動を通して、復興に貢献するという考え方の人もいるのは知っている。でもちょっと違和感が残る。1万人をこえる同じ国に暮らしてきた「仲間」たちがなくなって、通常の経済活動というわけにはいかない。それに何10万人という人たちが避難していて、不便な生活をしている。

 Jリーグのとった判断(3月中のリーグ戦はすべてキャンセル)は素晴らしいと思う。それに対して、プロ野球の理事たちはまだ踏ん切りがつかないようで、駄目だなと思う。

 たかが野球(されど野球だけどね!)、1週間程度、開幕戦が遅れたって、生き死にには関係ないよ。野球ファンのひとたちには失礼かな。でも実は、今年初めて、僕も巨人戦のシーズンチケットを買っていて、ずっと楽しみにしていたんだけどね。野球が大好きな父親を東京ドームに招待しようと計画していたんだけど、我が家も「ピサの斜塔」になって、それどころではなくなっちゃった。

 1週間でも、なくなった人たちのこと、まだ災害で苦しんでいる人たちのために、喪に服することが必要だと思う。戦後、日本社会は死者をずっと軽んじてきた。1週間程度開幕戦を遅らせるということが実行できないのだろうか。失うものが大きい人たちは判断が遅くなるね。

 もし野球やるなら、その収益を全部、被害をこうむった人たちに寄付してもらえないだろうか?もしそうするというのなら、喜んで野球を見に行きたい。倍の料金を払ったっていい。(ただ、消費する電力、交通手段はどうなる?)

 被災にあった人たちに、野球で夢や希望を与えようなんて、うぬぼれないで欲しい。彼らが必要なのは、食糧、お金、住む家、薬、電力。いまは、夢や希望の前に、現実的なサポートが必要。

追記

プロ野球の理事の皆さん、映画「タワリングインフェルノ」を覚えていますか?福島原発という「インフェルノ」が見えないのでしょうか?

犬たちには負ける(Dogs are more resilient than us.)

 地震のおかげで我が家の周辺は水がでなくなり、さらにトイレが使えなくなっています。でもユーモアというか、自分自身を笑い飛ばす余裕は持っていたいから、ちょっと小話を。

 我が家の犬たちにはできてこちらには絶対にできないこと。それは「自然の呼び声があったとき、路上で用を足す」という芸当。人間と動物の大きな違いのひとつは、このトイレに関わることかもしれない。丸の内のホームレスの人たちも、小社が入っているビルのトイレを毎日使っている。彼らも決して路上で用を足すことはしないだろう。それは人間の尊厳のひとつだから。とはいえ、犬たちだって家の中では用を足すことはない。

 彼らは僕らとは違う「価値観」の世界に住んでいる。路上というか、われわれ人間の眼は、彼らにとって尊厳に関わることではないということだろう。うちの犬たちは、人前だろうと、他の犬がいたとしても平気のヘイさん。ただし、用を足しているときに、襲われることには気をつけている。彼らには、恥ということはなくても、恐れというものはある。あと、クウ太郎君は大をする前には、くるくると回って「ダンス」をするという芸当を持っている。一度ビデオに撮って公開したいと思っているけど、彼から許可をとらないといけないかもしれない。

 蛇足だけど、会田雄次の「アーロン収容所」に、イギリスの女性兵士たちが、日本人捕虜たちの前で、平気で裸になっていたというような記述があったと記憶している。会田は、それは彼女たちが日本人捕虜を自分たちと同じ人間として見ていなかったからだというようなことを書いていたはずだ。

 町の配慮で、近くにある小学校に避難トイレが用意されている。それを使ってみた経験談はまた別の機会に。

 Due to the earthquake, my house has become the "Tower of Pisa" and there is no water supply. Besides, we cannot use the toilet and cannot use washing machine, either. This is really a headache. What my dogs can do and we humans can never do is this: when the nature calls, they do it "here, there and everywhere". Except inside the house. And they do not have to wash their clothes!
So my two dogs, Kai and Kootaro, in my house, they are the great survivors of the earthquake last week. They have completely forgotten whatever horror they felt when the earth moved under their feet. Everything is business as usual, and I admire their resilience.

Thank you, friends, I am ok.

My friends, thank you for your heart warming emails. Specially my dear friends in New York.

Unfortunately, our disaster is not finished. We are still in the midst of it. We need to watch out, because no one can tell if there will be no additional earthquakes. Besides, we have a crisis with the nuclear power plants, which seem to be the top subject of interest from some governments in overseas.

Life in Japan is not the same any more. We are learning to adapt ourselves to a new reality.

Just like 9.11 changed the US, 3.11 is changing Japan.

東北エリアのみなさん、お元気でいてください。

 国内出張にでかけていたため、昨日帰宅しました。僕が住む町も地震の大きな影響を受け、町の各所が地盤沈下を起こしています。我が家も含めて、多くの家が「ピサの斜塔」になっています。水がでない、トイレが使えないと、日頃当然に思っていることが当然ではなくなり、あらためて日頃の生活のありがたみを感じています。

 それでも、東北エリアの方々のことを思うと、不平不満なんて言う気はまったく起こりません。ここ数年、初めて東北エリアを何度も訪問し、お取引先の皆さんとお会いする機会がありました。栃木県、茨城県は先月訪問したばかりですし、宮城、福島、岩手、青森、秋田にはお世話になっている方々も多くいらっしゃいます。彼らのことを思い、気持ちがいっぱいになります。もともと東北エリアは経済的に恵まれていなかったのに、こんなことになってしまって。でもなによりも生きていてほしいです。

 今日から仕事ですが、停電の影響で通勤そのものが簡単ではなくなると思いますし、当面、通常通りの仕事は難しいことと思います。でも負けないでいきましょう、皆さん。

「大橋未歩のシュウカツ魂」

テレビ東京の「大橋未歩のシュウカツ魂」で小社のテレビCMが流れています。テレ東の人気アナウンサー、大橋未歩さんが就活中の大学生を応援する番組です。放送時間は深夜なので、僕は録画したものを拝見しています。

「大橋未歩のシュウカツ魂」(HP)、「大橋未歩のシュウカツ魂」ツイッター

『シンプルに生きる』(ドミニック・ローホー著)

 シンプルに生きるというのは、ずっと憧れていることのひとつだけど、なかなか実行できてこなかった。つまるところ、単なる憧れ程度にしか思っていなかったから、実行してこなかったのかと反省してる。でも、51歳にもなり自分の人生の時間がもう永遠ではないことも実感するようになると、そういつまでも引き延ばしていくことはできなくなってきている。
 そもそもシンプルに生きるということが具体的にどういうことか、それを考えることが大切。そんなこともあって、いま話題になっているフランス人女性による本を読んでみた。

 アマゾンとかのコメントをチェックしてみると、この本に対して否定的なコメントが多い。でも、僕はこの本に書かれていることにはすごく共感を持つし、本当に大切なことは実行してみることだと思う。「ものを過剰に所有することをやめると、ものに対して使っていた時間が減り、自分自身にかける時間が増やせる」こと。「シンプルにすることは、暮らし全体の風通しを良くすること。ものを減らすことからはじめて、時間の使い方やひとづきあい、自分との向き合い方までシンプルにすると、心が豊かになる」こと。
 ファッションや美容のことにも具体的に触れていて、これらの章は女性を対象に書かれているのかもしれないけど、われわれ男にとっても参考になる考え方だと思った。

 各文章の最後に、先人たちの言葉、小説からの引用などがあるのだけど、クンデラの小説からは以下のような引用がある。「私は質素を私の存在の統一原則とした。必要不可欠な基本的なもののみを取っておくことに徹した。この禁欲的かつスパルタ的な方法にはどこか天の恵みが秘められていて、私はこの恵みが自分のものとなるようにこれについて瞑想した。」残念ながら、まだ僕にはこの天の恵みの後ろ姿さえも見えていない。

 この本の中にはすごく目新しいことが書かれているわけではないけども、何度も繰り返し読んでみる価値があることが書かれている。何度も読み返し、すこしずつ実行していくこと。それが一番大切。実行してみないとわからない。