『日本史の誕生』(岡田英弘著、ちくま文庫)

 学校の勉強でつまらなかったのは、歴史、物理、法律(法学部だったけど)。物理をのぞくと、今、歴史と法律は、本を読んでいてもおもしろいと思います。これは、社会に出てからの経験のおかげで、歴史や法律を、自分のこととして見ることができるようになったから。(物理だけはまだダメ)
 この本の著者はいろいろと話題になっているようですが、ものの見方にはおもしろいと思うところがたくさんありますし、今の日本を見るにもヒントになるような記述がたくさんあります。たとえば、
1 7世紀における日本の国家としての成立は、中国、朝鮮半島における政治変化に対する、倭人たちの自己防衛行為であり、「鎖国」は日本建国以来の国是であった。(→今においても、「グローバライゼーション」に関する多くのコメントを読んでいると、同じような心理状態にある人たちが多いと感じます)
2 いずれの文明でも、最初に書かれた歴史の枠組みが、人間の意識を規定してしまう。日本書紀の表現する、日本は中国とは対立する、まったく独自の正統を天からうけついだ国家であるという思想は、永く日本の性格を規定した。(→レベルは違いますが、会社などの組織においても、スタート時における目標やメンバーが非常に大切で、のちのちの組織のゆくえに多大な影響を与える)
3 日本は、先祖代々、記憶はもちろん、記録にさえ残らない、古い昔からの人間関係を、どっさりと重く背負いこんだ人間が構成している国だ。われわれ日本人にとって、歴史は、常に存在していて、目に見えない力でわれわれの考え方、ものの見方、行動を支配している。この感覚は、アメリカの空気の中には存在しない。個人が他者から自由に意思決定できるなどと信じているのは、アメリカ人ぐらいのものだ。(→シリコンバレーは、アメリカだからこそ、ありえるのかもしれない)

 著者は、歴史について、以下のように書いています。「歴史とは、人間が世界を見る見方を、言葉で表現したもので、過去の世界はこうだった、その結果、現在の世界はこうなっているのだという、書く人の主張の表現なのだ。歴史は決して単なる事実の記録ではなく、何かの立場を正当化するために書くものである。」日本の学校の歴史の授業がまったくつまらないのも、何らかの立場の押しつけであるからでしょうか?

岡田宮脇研究室
雑誌「正論」から