投資効果が見えない広告

大学のある集まりで、日本を代表する広告代理店の社長をされている卒業生のお話を拝聴。広告代理店の方のお話をお聞きしてよく思うこと。

1 カタカナの連発で、新しいコンセプトを打ち出そうとする。でも、どこに本質的な変化があるのか、こちらの理解不足のせいか、不明。

2 大衆、分衆、固衆、あるいは生活者など、消費者にさまざまな名前をつけたりして、個人も賢くなってきたというようなことを強調されるけど、どうやって圧倒的な広告の力でモノを買わせるかという、消費を強制する対象としての「消費者」以上の見方が感じられない。

3 時代の変化で一番分かりやすいことは、インターネットが登場したこと。そして、新聞、テレビ、ラジオ、雑誌の4媒体の中でテレビの力は若干落ちて、他は急激に落ち込んでいるということ。「広告費の使い道としてネットを入れましょう」。

4 そして一番肝心なこととして、広告の効果をはっきりとご説明いただけないこと。

 

教育と広告というのは、投資効果の測定が難しい。どちらも一定の期間、粘り強く行なわないといけないこと、ところがほんのちょっとしたことが大きな結果につながることもあるなど、その不確実性が高い。(「あの一言で、自分はやる気になった」ということもありますから)

 大学の同級生で、某社のO君の話では、「さまざまな求人媒体を使ったあげく、採用した人材は某大学の校門前に張っていたビラを見てきたひとだった。そのほか、採用した人材も、どの求人媒体を見て、面接に来たのか、それさえ、ろくに答えられない面接者ばかり」。求人媒体の商売をしているO君の会社にとっては、実に恐ろしい話だ、とか。

 そのほか、どの会社に面接に来ているのかさえ、はっきり自覚していない面接者の話とか、まあ、おもしろいというか、おかしくなった日本の現状の話をしながら、「こんな状況はおかしい」という彼の意見に頷いていた黒犬でした。