「学ぶことの意味」

まだ読んでいなかった古い新聞記事(今年2月)に、「学ぶことの意味を問われて答えることのできる教師は本来いないはずだ。学び終えてはじめてその意味が理解できるのであり、そのことこそ学ぶことの動機づけになるものだから。」(哲学者・内田樹)という発言がありました。

同じ記事の中で、内田さんは、「80年代以降の子供たちが以前と違うのは、消費者として社会的経験をスタートさせたことだ。(中略)彼らは自分たちに理解できる解答以外は受け付けない。消費者マインドで世界に対するときの必然だ。」とも言っています。

義務教育の段階で、教育をサービス業と呼び、子供たちを「お客さん」扱いし始めたときから、多くの勘違いが始まってしまったような気がします。子供や父兄を「お客さん」とするのであれば、彼らは聞きたいことだけを聞くようになります。

もうひとつ、別の話になるのですが、すべての子供は、一度でもいいので、電気も水道もないようなところに投げ込んでみるのもひとつの方法ではないかと思います。生きていく力や意志がなえてしまっている子供が多いようですので。だって、自然の中では、人間はお客さん扱いをしてもらえませんから。不便さの中から、人間って、強くなったり、賢くなったりするように思います。僕は、バンカーズ・トラストで、30歳前後の時ですが、ニューヨーク郊外の、電気も、水道もない森の中で、会社の研修のひとつとして、数日間、グループで「サバイブ」するトレーニングに参加したことがあります。とてもいい体験だったと思っています。

追伸 以前、内田さんの『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)を読みました。