動物たちがいない社会

今週、機内で、アフリカで密猟されるゾウたちの悲惨な記事を見ました(ナショナルジオグラフィックス日本版)。象牙のために殺されていくゾウたちの無残な姿を見ていると、悲しくなります。

3月7日の朝日新聞夕刊では、「ニホンオオカミと人の歴史探る」という見出しで、『オオカミがいた』という展示会の紹介記事を目にしました(山梨県立博物館)。東大農学部蔵のニホンオオカミの剥製写真がでているのですが、うちのクウ太郎君(♂の甲斐犬)そっくりで、違いといったら毛の色くらいでしょうか。(うちのクウ太郎君が黒毛なのに対して、剥製のニホンオオカミはアイボリー) 甲斐犬たちは、ニホンオオカミに近い存在なのかなと思います。

アフリカのゾウも、いつかニホンオオカミのように絶滅してしまうのか?絶滅の危機にあるのは、ゾウたちだけではありません。日本からツキノワグマがいなくなっても、だからどんなマイナスがあるのか、と言った人がいるという記事を別の紙面でも読みました。動物たちがいなくなると、どれほどつまらない社会になってしまうことでしょうか。人間のいない自然はありえますが、自然のない人間はありえないのではないかと思います。いつか短期間でもいいので、海外の自然豊かな環境でしばらく生活してみるのが、漠然とした夢のひとつです。インターネット接続さえあれば、文句はないですから。

以前も書いたのですが、カーペンターズのBless The Beast And The Children という歌にもあるように、子供と動物(自然)たちは、声なき存在だからこそ、彼らのことを想う想像力がますます重要になってきていると思っています。