アドバイスの客観性
posted at 2005.09.12
選挙は自民党の圧勝で終わりました。マスコミは今回の選挙で、首相びいきの報道が多かったのでしょうか、それとも批判的な報道が多かったのでしょうか?そして、マスコミの取り上げ方は、投票結果に、どのくらい影響があったのでしょうか?
なぜこんなことを書くかというと、今日、こういうことがあったからです。
お昼休みに近くの家電量販店に行って、プラズマテレビを見比べていました。そのお店の店員さんと同じような服を着ている人は、実は、Hという家電メーカーから送られている営業支援の人でした。H社は一時はかなりのシェアがあったプラズマテレビでの売上を上げるため、かなり営業に力をいれているようです。最初、その人がH社から来ていることを知らなかった僕は、P社やN社のプラズマとの比較をフン、フンと言いながら聞いていたのですが、その人がH社から送られてきているということがわかった時、その人の意見を客観的に聞くことができなくなってしまいました。
その人は、とても正直に説明してくれたとは思うのですが、H社の社員であるという立場をこちらは、どのように考えればいいのか?商品を見比べて、自分の直感を信じて決めることが一番なのかもしれないのですが、ちょっと客観的な意見を参考にしたいというとき、本当に客観的な立場にある人かどうか、それをどう判断すればいいのか・・・
知らぬが仏で、そのことがわからないままであれば、H社の製品を買っていたと思うのですが、P社やN社の製品にもなんとなく未練が残ってしまいました。(結局、なにも決断ができないまま、今日は終わってしまいました)
もうひとつ気になることとして、特定のメーカーの社員の人を、あたかも自社の社員であるかのごとく、売り場に立たせる量販店は、お客さんに対して、いいサービスをしているのでしょうか?
アフィリエイト・プログラムが盛んです。でも、僕はアフィリエイト・プログラムにちょっと懐疑的なのですが、それはアドバイスする人の立場が本当に客観的なのかどうか、それがよくわからないからです。ちょっとした買物であれば、有名人と同じモノを持ちたいとか、有名人オススメというのは、それはそれでいいのですが・・・
いま、「ブログ・世界を変える個人メディア」(ダン・ギルモア著、朝日新聞刊)を読んでいます。僕はこの本の英語でのタイトル、"We the Media - Grassroots Journalism by the People, for the People."の持っている骨太の意味が、翻訳のタイトルにはでていないのが、本質的な点が翻訳で抜け落ちていく例だと思います。この英語の本のタイトルにある、 Grassroots, by the People, for the People (草の根運動、ピープルによる、ピープルのための)というような考え方は、日本に入ってくるときに、抜け落ちてしまいがちのような気がして、それが残念です。なぜって、アメリカという国の背骨にある、一番大切な価値観が、このあたりにあると思うからです。
最後に。今日の日経産業新聞の最終面のコラム「背光紙背」でも、スタンフォードでのジョブスの講演のことが紹介されていました。いろいろなところで話題になっているようですね。