陰徳の国

知人のSさんのお陰でこの2、3週間にカリフォルニアで働く日本人4、5名が、入れ替わりにオデッセイにお見えになられました。今日は、96年に渡米されて以来、アメリカ国内の弁護士として頑張っているNさんがいらっしゃいました。(今日の方は、日本国内の弁護士資格もお持ち) 僕はビジネススクール卒業後、アメリカで仕事を探さなかった人間なので、アメリカで頑張っている方を拝見すると、応援したくなります。実は87年、アメリカのビジネススクールにいたとき、シアトルのマイクロソフトに応募してみようかと思ったこともあります。その頃、マイクロソフトに入っていたら、今ごろどうなっていたか考えるのもおもしろいです。

ところで、今日の日経の夕刊社会面に、「京大に個人で20億円寄付、氏名などは非公開」という記事がでています。図書館新設に使われるようですが、寄付者の名や経歴は本人の希望で公表していないそうです。

この前、千葉県の老人ホームに夫婦で入っている方が、1億円か、2億円かの寄付をされた後、「おまえは売名行為をするのか!」というような嫌がらせの手紙や、売り込みなどがあって、ご本人(ご主人)が病気になられたという記事を読みました。

京大に寄付をされた方が、氏名を公表されない理由もいろいろあるのかもしれません。経済的な成功を遂げられた方が、堂々と寄付行為をされ、それをまた社会が評価する(この場合であれば、たとえば、図書館に寄付者の名前を付ける)というようなことも素晴らしいと思うのですが、いかがでしょうか?いろいろな公共施設などに、企業名をつけることが多くなっています。僕が通った大学にも、戦前でしょうか、当時の大手商社の寄付によってできた講堂があり、名前は社名をとって、兼松講堂と呼ばれています。でも、社会を変えていく活動やビジネスを始めるのは、ひとりの人間であり、個人です。その人間や個人を、もうすこし称えることがあってもいいように思います。

それとも、日本は、ずっと「陰徳の国」であることが望ましくて、一人の人間、個人を称えることはよしとしないのでしょうか?