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一月は毎年早く「行ってしまう」。

 今日で一月もおわり。2011年最初の月。今月に入って皇居一周ウォーキングを始めた。ウォーキングでない日は水泳をするようにしている。1時間運動した日を白星、なにも運動をしなかった日を黒星とすると、今月は18勝13敗。まあまあの星勘定かな。朝7時半とかに皇居を一周する。北国と比べるとかなり過ごしやすい東京の冬でも、今月の朝7時とか7時半だと、1、2度の朝が多かった。でもすごく気持ちがいい。英語で凛とした冬の空気を、crispだという言い方をする(The winter air is crispy!)。ドーナッツにもcrispyというのがあったけど、あちらと違って冬の朝の空気には甘さはない。でも、体が温まってくると外の空気の冷たさが気持ちのよさに変わってくる。
 今年は一旦いろいろ中途半端になっていることを片付け、文字通り心身ともに身軽になって、仕事をきっちりとやっていきたい。自分の思い込みやこれまでの惰性や過去の継続のままでは、いい仕事はできないし、既存のビジネスだって伸びやしない。お金を払ってもらうことはそれほど簡単なことではないのだから。
 でも冬の朝のウォーキング同様、厳しい中で地道に歩き続けることで成果も出てくるはずだし、自分の中から生まれてくる喜びも格別のものになるはずだ。

 それにしても時間の経つのは早い。明日からは2月。この月も毎年「逃げる」ことで有名!

 ところでエジプトで起こっているようなことは、絶対に日本では起こらないと言えるだろうか?もし起こるとしたら、どのようなことがきっかけになるのだろうか。全国規模で大きなデモが起こったのは、70年安保の時が最後だろうか。もし起きるとすると、日本国債の大暴落とそれに伴う経済破綻がきっかけになるのではないかと想像している。肝心の経済が破綻し、生活が苦しくなった時に、これまでずっと大人しいわれわれ日本人がどのような行動にでるのか。日本経済が破綻するまではまだ5年から10年、モラトリアムがあるのかもしれないけど。(関東大震災みたいな天災が起こらないという想定のもと!)

初めてのカーリング

 今年の目標のひとつは去年に続いて体を鍛えること。去年の成果は点数にすると30点くらいなので今年は60点くらいは目指していきたい。実際、今年に入ってから早朝の皇居一周ウォーキングは結構続いていて、夏の暑いシーズン到来まで継続できるとちょっとした成果が期待できるかも。今日日曜日も丸の内に行って皇居一周を実行。多くの人がジョギングやランニングを楽しんでいて、この風景だけ見ていると日本は「明るい」。
 滅多に雪が降らない四国に生まれ育ったので、ウィンタースポーツはからっきしダメ。貧乏学生だったから大学時代もスキーなんて一度も行ったことなかったし。
 だからかもしれないけど、逆にウィンタースポーツには関心がある。時間があればかつてなんどかトライしたクロスカントリースキーを再開したいし、普通のスキーだってまたやってみたいと思っている。ずっと実物を見てみたいと思っているジャンプは、今年こそ見てみたい。(札幌の大倉山!)
 これまでオリンピックのテレビ中継で見たことがあるカーリングの試合を、昨日、初めて会場でみた。軽井沢国際カーリング選手権大会。カーリングって、「氷上のチェス」って呼ばれることもあるみたいだけど、氷上のビリヤード、ボーリングという感じもするし、スコアの付け方は野球の表裏みたい。ストーンは20キロあって、軽井沢駅構内に展示してあったものを持ってみるとかなり重かった。
 カーリングは他のスポーツと違って身体能力を競うスポーツじゃないかもしれない。だからこそ、僕らでもやってみることができる気にさせてくれる。(実際はどうなんだろうか?)
 うちの会社でカーリングやってみたいって人はいないかもしれないから、丸の内でカーリングやってみたい人をさがしてみようかな?
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Where do you go today?

 丸の内周辺を歩いているとそれほど目立つわけではないけど、ホームレスの人たちがいる。彼らもそれなりに「こぎれい」にしているので、一式の道具をどこかに置いて歩いていたりすると、結構街にとけ込んで見える。
 今月に入って、皇居一周のジョギングを始めた。その途中、竹橋や二重橋前の公園などでホームレスをよく見かける。二重橋前の公園には合計すると20名くらいのホームレスがいるのではないだろうか。朝8時くらいに公園横の歩道をジョギングしていると、芝の上で横になっている彼らの姿が目に入ってくる。北国ではないとはいえ、東京の冬だってホームレスには厳しいだろうと思う。
 
 朝7時ごろには、会社が入っているビルの地下トイレで彼らの姿をよく見かける。彼らはビルのトイレで用を足し、顔を洗い、体を拭いている。ビルの持ち主である三菱地所だってわかっているのだろうけど、寛大な対応をしている。僕らテナントとして入っている会社も、大きな問題だとしているところはきっとすくないだろう。そのくらいの寛容さは社会に必要だろうから。

 かつてマイクロソフトが企業広告に使っていたコピーが、Where do you go today? もう6、7年前のことだろうか。丸の内でホームレスを見かけると心の中で思う。Where do you go today? って。

いい加減な気持ちでは飼わないでくれ!

 昨日の朝日夕刊社会面に、「犬猫_捨てられる命」という記事。我が家は動物園みたいに人間よりも圧倒的に動物たちが多い家なので記事を読んでいて無性に腹が立ってきた。『犬たちをおくる日』という本で紹介されている話なんだけど、センターで殺されていく犬たちが哀れだ。犬たちにとってこれじゃー、アウシュビッツじゃないか。こんなひどい飼い主の話がでている。

 「アホだから」と飼い犬を処分するように持ち込んだのに、帰りに子犬を「譲ってくれ」と言った男。
 処分場所である管理棟で、捨てた犬と記念写真を撮ってそのまま置いていった親子。

 記事にでている処分される直前の犬たちの写真が哀れだ。じっと訴えているような柴の目。すみっこの方で怖がっている様子の犬。

 いろいろな事情で飼えなくなるということもあるだろうけど、いい加減な気持ちでは飼わないでくれ!って、犬たちに代わって叫びたい。Dscn0376_2

そうじとオーガナイザー

 日本の学校ではそうじが非常に大切な教育活動のひとつと考えられているのに対して、アメリカでは生徒がそうじをすることはそれほど大切だと思われていないような印象があるのだけど、どうなんだろうか?僕が1976年から一年通ったアイオワ州の高校(田舎町の普通の公立高校)では生徒はまったく掃除なんてしなかった。ジャニターと呼ばれる掃除担当の人たちがいた。それに対して、愛媛県の公立高校ではさんざん掃除をやった記憶がある。

 ある知り合いのメルマガのおススメで『なぜ「そうじ」をすると人生が変わるのか?』(ダイヤモンド社刊)という本を読んだ。そうじを無心におこなっていると、予想もしなかったような結果になることがあるというお話。

 確かにそうじは大切だと思う。心の乱れを防ぐためにも、整理整頓、日頃のそうじは大切だと思う。遅刻の多い職場や整理整頓ができていない汚い職場は、だめな職場だと想像できる。

 日本は教育現場や職場で非常にそうじを重視する傾向があると思う。ある意味、修行というか、人間修養の意味さえもそうじに持たせている。お寺などでの修行から派生しているのだろうか。それに対してアメリカでは、そうじと人間修養を関連させる見方はあるのだろうか?アイオワではホストファミリーといっしょに教会に通ったけど、そうじをやった記憶はない。

 今、仏教はアメリカで急速に広まっていると聞く。100年後には、アメリカ人が仏教に則った学校を作り、そこではそうじをすることが大切な科目とされるかも。そんなことになったら面白いと思う。

 アメリカで感心するのは、広義での「オーガナイザー」の存在の大きさ。スケジュール管理、名刺管理、行動管理、顧客管理に関して、ものすごく関心を持っていて、合理的、効率的な管理方法を、これでもかというくらい、多くの人たちが提唱、提案しているなと思う。パソコンのソフトでもさまざまなものがでている。

 この10年くらい、日本でもいろいろな人が手帳を公開したり、提案したりしている。僕の思い過ごしかもしれないけど、日本社会の中でそうじをうるさく言う人が減って、なんとなく「オーガナイザー」が頭をもたげているような気もする。

 僕としては、そうじもオーガナイザーも両方きちんとやりたいと思っているけど、自慢できるほどできていない。

ふたつの誕生日と冬の月

 今日会社で書類の整理をしていた時に、会社設立日とカイ(我が家の♀の甲斐犬)の誕生日がまったく同じ2月20日なのに気づきました。会社設立の方が方が数年早いのですが。このこと、これまでまったく忘れていました。カイさんが我が家に来たのもちょっとした縁があったのかもなんて思ったり。会社の成長とカイの成長はすこしのずれはあるのですが、同じ軌跡を描いていたりもします。
 ところで夜にちょっとクウ太郎君の散歩をしたのですが、冬の東京は最高!今夜は雲がかかることもなく、月がひとりクールにちょっと微笑しながら輝いている雰囲気で、それほど寒くもなく、ちょっとほんわかしたいい気持ちになりました。お正月からほぼ毎日晴れだし、今夜みたいに晴れ晴れした静かな夜だと、静寂の中にも元気がわいてきます。
 

海外の活用事例(MOS試験)

当社の事業関連情報です。

MOS(Microsoft Office Specialist)の海外での活用事例をアップデートしています。シンガポール、アメリカ、韓国、イギリスなどの例をあげていますので、ご覧いただけると幸いです。

We updated the pages on the case studies of MOS customers in such countries as the US, Singapore, Korea and England.

海外の活用事例(MOS試験)

犬の薬にもジェネリックが。

 我が家のカイさん(♀甲斐犬、来月12歳)が緑内障のため失明して1年以上がたった。この間、眼科専門の動物病院に連れて行ったりしたし、緑内障のための点眼薬を与えてきた。犬の緑内障の目薬といっても人間と同じ目薬だ。それは去年、小社に営業にいらっしゃったあるメディア関係の方とお話ししていてわかった。その方も医者から緑内障の恐れがあると言われ、カイと同じ目薬を使っていらっしゃった。ファイザーからでているキサラタンという薬。保険で買うことができるとこの目薬は700円か、800円だと聞いた記憶があるけども、保険が利かないと同じ薬が5000円にもなる。それも信じられないくらい少ない量なのだ。2.5ミリリットル。いくら愛犬だとは言え、これは結構負担が大きい。
 家の近所の動物病院には日頃狂犬病や5種ワクチンの注射でお世話になっているのだけど、この病院で同じ目薬のジェネリックが半分以下の値段で購入する事ができることがわかった。これはうれしい話だ。
 これまで高額の薬に頼るようなことがあまりなかったので、カイが失明して初めて、保険がきかない薬の費用の高さを実感していた。製薬メーカーも研究開発にコストがかかるのだろうけど、継続的に必要な薬はそれなりの値段にしてもらいたい。カイの場合、緑内障の原因になっている眼圧の高さを抑えるために、これからもずっと目薬を続けないといけないから。

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 左が日新製薬からのジェネリック、右がファイザーの先行薬。どちらも商品概要には「プロスタグランジンF2a誘導体 緑内障・高眼圧症治療剤」とあって、成分には「1mL中 ラタノプロスト50ug含有」とある。

「東京には獲物が跳ね回っている」って。

 某地方都市で起業し、現在は地元だけでなく東京にも拠点を構えて、全国展開している企業を顧客としてビジネスをされている方と、昨日、昼食をした。その方によると地方都市にはビジネスの獲物が少ない。見つけるための努力がたいへんだ。そもそも獲物がいないのではないかと思うことさえもある。ところが東京に来ると、ここにもあそこにもという感じで獲物がいる。地方に閉じこもっていないで東京にでてくるべきだ、とおっしゃっていた。
 また東京の未来の姿は地方にあるかもしれない。その主旨は、東京もどんどん高齢化が進んで、いまの地方都市のように老人ばかりが目立つ、活気のない街になっていくのではないか、と。
 僕もこの数年全国各地のお取引先を訪問しているけども、東京以外の町はたいへんそうなところが多い。高知や松山に帰ると、こんな感じだったかなと思うことがある。小さい頃、もう30年以上も前のことなのだけど、子どもの僕の目にはもっと松山や高知は輝いていたような記憶がある。
 東京以外の方が生活の質はいいのかもしれない。でも金を稼ぐという意味では、東京は日本で一番いい市場だろう。ただ、東京も人材の面からは案外だめだ。人材の幅、深さ、専門性、まだまだ十分ではない。東京でさえもそうだから、地方ではいい人材を見つけていくのはたいへんだと思う。それが起業を一層難しくし、企業の発展の大きな障害になっている。東京でも起業時の人材募集はたいへんなんだから地方はもっとたいへんだろう。

 それでも前に進んでいかないといけないのだけど。

今日、信じられないほどうれしいことがあった。

 1976年から一年間、アメリカのアイオワ州のハンプトンという小さな町の高校に通っていた時、ホストファミリーに加えて、とてもお世話になったご家族のお孫さんが、ツイッターで僕を見つけて連絡をとってくれた。お世話になった方たちとは、1977年からお会いしていない。もう30年以上の時間がたった。おじい様にあたる方はもう93歳だということだから、特にお世話になったおばあ様にあたる方はきっと80歳をゆうに越えていることだろう。30数年前、お二人はきっと50代から60代になろうとされていたはずで、いまの僕は当時のおふたりの年齢に近づこうとしている。
 お孫さんは僕の名前をおばあ様からなんども聞かされていたと知りとてもうれしかった。お孫さんにあたる女性は日本の大学に来ていて、今年の6月までは横浜にいるということだから、きっと近いうちにお会いするだろう。
 インターネットはいいことばかりじゃない。どちらかというと、この頃、マイナスの面が目立つように思っている。でも今日みたいなことがあるとインターネットの力がとてもうれしい。もう会えないかなと思っていたし、もしかして、すでに亡くなられたのではないかと思う事もあった。まだお元気だと聞いてうれしい。きっともう一度お礼を申し上げるようにと、天が用意してくれたことなのかもしれない。今年はきっとアイオワに行くことになる。
 

全国38紙に年賀の広告を出しました。

お正月の新聞広告、見てくれた?!

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Everyone needs to be in love.

 1月4日の朝日新聞朝刊にすごくいい話がでていた。ノンフィクション作家、小林照有幸さんの「どんな高齢者政策よりも『恋愛』」という話。

 簡単に紹介すると、恋は、恋する人間すべてに、生きる意欲と希望を与えてくれる。たとえ70歳、80歳になろうとも、恋愛は「若いころのように燃え上がるような」気持ちを与えてくれる。それどころか、高齢者の恋愛は、死を意識せざるを得ない分だけ若い人以上に、純粋で情熱的でありうる。
 どんな高齢者政策よりも、根源的な福祉策になる可能性を秘めているのが恋愛である。なぜなら、
1 究極の健康増進法である。(恋人ができると、例外なく元気になる)
2 生活の文化度が上がり、社会性が身につく。(おしゃれや身だしなみ。連絡のためにケータイやPCを使う人が増え、新しい機器を使いこなそうとする意欲も出てくる)
3 沈滞気味の日本経済にも活を入れる効果(交際を始めると、高齢者もお金を使うことが増える)

 そして最後にこんなコメントを残されている。「高齢者の恋愛の実態を知るにつれ、私は、老いることへの恐れがなくなった。寂しい灰色の世界、と思っていたみちには、最後の一歩まで希望の灯がともっている」と。

  一見、まったく違うように見えて、河合薫さんの以下の記事は、小林さんの話に共通するものをもった記事だ。
希望喪失の時代に必要なのは、「開国」よりも「開心」元年

 それは人生は独りで生きていくには寂しすぎるというシンプルな真理。

「人生のやり直し」

 ツイッターでフォローしているお一人に日本で起業家として成功された中国人の宋文州さんがいる。彼のユニークなメッセージには日頃共感を感じることが多い。その中でも今朝のツイートのひとつは、非常に大切なメッセージだと強く思う。それは以下のようなもの:

 『「人生のやり直し」とはできなかったことに拘ることではなく、違うことに意味を見出すこと』

 これは僕のように50代に入った人間にとっては非常に大切な「真理」だと思う。いや、すべての中高年、老人たちにとって大切な「真理」だ。
 
 数年前、お世話になっている先輩起業家から、「あなたも40代の後半から50代に近づいている。これから新しいことを始めるには微妙な年齢になってきたね。」と言われたとき、「あ、そうか」と感じることがあった。今朝の宋さんのツイートには、その時と同じように感じるものがあった。

 年を重ねていけばいくほど、できなかったこと、失敗したこと、得られなかったことが増えていく。それらとどのように「折り合い」を付けていくのか。

サラ・パレツキーと福岡正信

 年末に読んだ本2冊。
『沈黙の時代に書くということ』(サラ・パレツキー著、原著は2007年)、『自然農法・わら一本の革命』(福岡正信著、1975年に出版されている)。
 ひとりはV.I.ウォーショースキーという女性探偵を主人公とするシリーズの著者。1947年アイオワ州に生まれ、カンザスで育ち、カンザス大学卒業後、シカゴ大学で政治学の博士号を取得後、以来シカゴ在住。
 もう一人は1913年愛媛県伊予市生まれ。1933年岐阜高農農学部(現在の岐阜大学応用生物科学部)卒後、税関植物検査課、農業試験場などの勤務を経て、1947年帰農。以来、自然農法一筋に生き、2008年逝去。
 まったく異なる二人なんだけど、現代社会で生きるということを真剣に考えつづけている(いた)人たちが書いた本。
 サラ・パレツキーの本を読むと、50年代のアメリカ中西部で問題意識の高い少女として育つことが決して楽なことではなかったと知ることができるし、アメリカが男女等しい権利を認めるまでかなりの時間がかかったことがわかる。保守的な宗教観を持ったひとたちは今でも決して男女の同権を根本的には認めていないようでもある。
 僕は彼女のV.I.シリーズをまだ読んだことはなかった。この本は、タイトルと帯にある彼女の素敵な笑顔に引かれて買ってみた。彼女は1960年代、まださまざまな差別があったとはいえ、その差別を解消していこうとして多くの人たちが闘った時代のアメリカ社会で10代、20代を送った人なので、商業化、保守化していくアメリカ社会に、心の底から怒りややるせなさを持っている人だ。たとえばこんな文章に彼女の人柄や現在の気持ちが表れている。
「V.I.に自惚れはない。世界を救おうとはしない。できないことがわかっているからだ。しかし、自分の周囲の小さな世界で、リンカーンがやったように、”傷口に包帯を巻き、戦いに赴いた者の世話をし、その未亡人と遺児の世話をする”ことを心がけている。いまの時代、リンカーンのように偉大なヒーローが見つかるなら、わたしは多くをさしだすだろう。ワシントンへ行くたびに、リンカーン記念館に寄って氏の坐像を見あげ、悲しげで、聡明で、やさしそうな顔をみつめる。この世にもどってきてアメリカ合衆国を救ってほしいと祈る。歳月が流れるなかで、多くの人々が同じことをしているのを知った。」
 もう一人の福岡正信は、もしかして、日本国内よりも海外においての方が評価が高いのかもしれない。昨年、広島市長の秋葉さんが受賞したマグサイサイ賞(アジアのノーベル賞と言われている)の「市民による公共奉仕」部門賞を受賞されているそうだ。去年、フィナンシャルタイムスのコラムで、エコロジストとしての福岡さんを高く評価するエッセイを読んだこともある。
 『わら一本の革命』の中で、なんども科学を否定すると書かれているけども、実はしっかりとした実証実験に基づいて自然農法の議論を展開されている。「自分は科学を否定しますが、科学の批判にたえられるような農法、科学を指導する自然農法でなければいけない、ということも言っているわけなんです。」福岡さんの科学批判は、都合のいい前提条件、限定された条件のもとでのみ成立するような「科学的真理や理論」に向けられている。
 この本の中には驚くような話がいくつもでてくる。僕は以下のような話は本質をついた話だと思うし、本当に羨ましい考え方だとも思う。
 その1:「農林省の役人は、ただ一つのことを知る努力をすればいいと思うんです。それは、日本人は何を食べるべきかということです。この一つのことを、追究し、何を日本では作るかといことを決定すれば、それでほとんど事足りると、私は思うんです。(中略)農林省の役人なんかはですね、春でもくれば、すぐに野山になんかへ出かけて、春の七草、夏の七草、秋の七草みたいなものをつんで、それを食べてみる、というようなことから始めて、実際の人間の食物の原点は何であったのかということを、まず確認する必要がある。」
 その2:「村の小さな神社の拝殿を掃除しておりましたら、そこに額がかけられておるんですよ。それを見るというと、おぼろげながら、俳句が数十句、短冊のような板に書かれているんですね。このちっぽけな村で、二十人、三十人の者が、俳句をつくっていて、それを奉納していた。多分、百年か二百年ぐらい前だと思うのですけど、それだけの余裕があったんです。そのころのことですから、貧乏農家ばっかりだったはずですが、それでも、そういうことをやっていた。現在は、この村で一人だって、俳句なんかつくっている余裕はないわけです。(中略)いわゆる農業が、物質的には発達したように見えて、精神的には貧弱なものになってきている一例といえるわけです。」
 その3:「私は、実は、国民皆農っていうのが理想だと思っている。全国民を百姓にする。(中略)一反で、家立てて、野菜作って、米作れば、五、六人の家族が食えるんです。自然農法で日曜日のレジャーとして農作して、生活の基盤を作っておいて、そしてあとは好きなことをおやりなさい、というのが私の提案なんです。」
 福岡さんは老荘思想に大きな影響を受けている。多くの人は「老人の戯言」と片付けてしまうのかもしれないけど、僕の中では学生の頃からずっとあこがれている世界だ。
 こんな方が愛媛にいらっしゃった。愛媛の小中高に通ったのに、残念ながらその存在を習った記憶がない。学校なんかで教えてもらえないことの方がずっとおもしろいし、本質的なことなのかもしれない。

謹賀新年。

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2011年が皆さんにとっていい年になるように!
Happy New Year!

出張勝也
Katsuya Debari