経済記事以外の日経新聞記事

日経新聞の「本流」の方たちには申し訳ないのですが、社外の方たちが書かれている経済記事(囲み記事)、それとスポーツ面、社会面の記事がおもしろいです。最近では以下のシリーズがおもしろかった。

1「駆ける魂」で紹介されていた白山、森の管理人の乾靖さん紹介記事(3回分)。日本3大連峰のひとつ、白山。「40歳でサラリーマンを辞め、これからどうやって暮らしていこうか、もんもんとしていたとき、白山でご来光を拝んだ。何度も見ているはずなのに、そのときばかりは、ありがたいと自然に涙がこみ上げてきた。」「太陽の光が山頂にいたすべての人を分け隔てなく照らし、観音経にある『無垢清浄光、普明照世間(汚れのない光があまねく一切のものを照らす)』というお経を実感した」。
 この前、岐阜の郡上高校を訪問した時、校長先生から白山信仰の話をお聞きしたばかりだったので、この記事は特に印象深かった。いつか白山に行ってみたいと思う。(2010年8月16〜18日の夕刊)

2 「戦争と言論人」の5回シリーズ(2010年8月7、8、10、11、12日)。石橋湛山、桐生悠々、清沢洌、菊竹六皷、徳富蘇峰の発言を紹介。特に共感をもって読んだのは、清沢洌。「詰め込み教育の危険なのは、物を批判的に見ず、ある既成概念を固守する結果、社会的に討議して、漸進的進歩の道をとるということが困難だ」。彼が指摘したことは、100%、今の日本の教育にもあてはまる。その結果が、「元来が、批判なしに信ずる習癖をつけてこられた日本人」。

ツイッターは「首相動静」だね。

 移動したり、行動したりするたびにツイッターに書き込みをしている人が多い。どこで誰に会ったとか、どこのレストランで食事したとか。こんなことをずっと公表してきた人が日本には一人いた。それは日本国総理大臣。いったいいつから始まったのかしらないけど、主要新聞では、もう何十年と(だと思う)、総理大臣の前日の行動を追っている。

 朝日新聞の場合だと、朝刊に「首相動静」というコーナーがあって、何時に誰と官邸で会った、どこどこのレストランで誰々と会食したなんてことがでている。例えば、昨日、菅総理は「午前7時38分、宿泊先の広島市南区のグランドプリンスホテル広島発。寺田首相補佐官同行。49分、同市中区の平和記念公園。」から始まり、「午後7時12分、東京・永田町の日本料理店、『つきじ植むら』で、江田前参議院議長、荒井国家戦略相ら、菅首相を支持する同党国会議員の会合に出席し、あいさつ。8時13分、公邸」で終わっている。

 こちらの情報発信は一日遅れ、すべて過去形。対してツイッターで自分の行動を発信している人たちは、現在進行形という違いはある。ツイッターでwhere, who, why, what, when, how を公開している人たちは、「首相動静」と同じことを自発的に発表している。もちろん、すべての行動ではないだろうけどね。(そう言えば、田中康夫はペログロ日記で、プライベートのことも露出していた記憶)
 
 みんなが総理大臣になってしまったのだ!
 
 僕もツイッターをやってみてはいるけど、「分刻みの行動」をとっているわけでもないし、著名人とそうそう会うわけでもない。それに大したレストランで食事したりすることもあまりない。残念ながら、それほどドラマチックな毎日を送っているとも思っていない。どちらかというと、一日一日、すこしずつでいいから人間として成長していければいいと思っている。
 
 「誰々に会った、どこどこで食事をした、どこどこに移動中」というツイートは一時的にはフォローしたとしても、だいたい数日もしないうちにフォローしないことにしている。自分のことを他人にさらけ出す必要もないけど、他の人が誰と会ったとか、どんな食事したとかにも、あまり興味がない。好きなタレントやアーティストの日常生活さえもあまり興味がない。(伊藤由奈のブログもほとんど見ない。それよりも、コンサートをやってほしい。木村多江が電通社員と結婚していようが関係ない、映画でいい演技を見せてくれればそれで満足)そんなことをフォローしていると、あこがれの気持ちがなくなってしまうもの。すべての人間関係、適度な距離感というか、付かず離れずがいいような気がする。カイ(11年以上おつきあいの♀の甲斐犬)とさえも、お互いに一定の距離感を保っているもの!

 総理大臣は公人だからいやでも行動を監視される。公人はつらいよね。でもツイッターで自分の行動を公表している人たちは、公人になりたいのかもしれない。

企業価値向上の長い道

 日経新聞夕刊に連載されている「人間発見」、今週はフィデリティ・ジャパンの蔵元康雄さんのインタビュー記事が続いているが、おもしろい。ご紹介されている企業、たとえば京セラ、丸井、ニトリ、キーエンス、イトーヨーカ堂、しまむら、コメリなどがまだ地方の知る人ぞ知る優良企業として、全国的に名を知られるまえからアナリストとして訪問され、各社の経営者とのお付き合いの中から気付かれたことを、インタビュー記事の中でお話になられている。

 各社とも、真の企業価値向上のために、地道な努力を継続された結果が、現在見る姿につながっているかと思います。参考にさせていただきたいです。

「寄付社会をつくる」(日経新聞夕刊シリーズ記事)

「寄付は社会の鏡かもしれない。所得を再分配し、非営利活動の財源にもなる善意と徳を帯びたお金。寄付が広がる社会をつくろうとする担い手たちを追う」というシリーズが、今日の日経夕刊でスタートしている。

一回目の今日は、大阪府庁に勤務していた普通の公務員の方が、月額5000円からはじめていつしか累計で一億円を越える寄付をされたお話が紹介されていた。50歳から始められて現在77歳。ご夫婦でコツコツと寄付活動を続けてこられたということで、本当に立派だと思った。こういう方が実は隠れて結構いらっしゃるんじゃないだろうか。

数年前に亡くなられた奥さんが生前に書き残していたノートには、「幸せな人生だった。預金を役立てることで日本と外国の方々にお返しをしたい」と書かれてあった、とか。

ビジネスをやっている限りはもっとお金を稼がないとダメだと思っている。それは自分の努力の成果の「ひとつの」指標だから。でも、自分のためだけにお金を稼ぎ、自分の家族に残すためだけに蓄財しているって、最低だと思う。

お金を稼ぐこと、それと同時にお金に十分に活躍してもらえるような使い方を考えること。両方大切だよね。

ディベートとダイアローグ

 今日の朝日新聞朝刊で哲学者の鷲田清一さんがいい話を紹介してくれています。演出家の平田オリザさんの定義らしいのですが、ダイアローグとディベートの違い。
 「ディベートというのは話し合いの前後で自分の考えが変わっていたら負け、でもダイアローグでは逆に変わっていなければやる意味がない」
 ディベートとダイアローグを組み合わせながら、自分を変えていく、自分が変わっていくというのが、面白いように思います。
 

NHKは、解説者にJリーグ出身者を使わないでほしい。(あるいは出身者以外も積極的に使ってほしい)

昨晩、対イングランド戦の解説に元ジュビロの福西さんが出ていました。彼はスマートな選手だったし、Jリーグに対する貢献は多大なものがあったと思います。昨年のJリーグアワードでは表彰もされていた記憶があります。

ただ、Jリーグの元選手を解説に使い続けるNHK他、テレビ局には疑問があります。理由は、彼らが解説者としては非常に甘いと思うことがあるからです。(マスコミは、政治に関してはけなすことばかりが目立つのに、どうしてスポーツにだけは甘いのか!)

往々にして日本のスポーツ解説は甘いのではないか?先輩、後輩の人間関係のなかで、なかなかはっきりとものを言える人が非常に少ないと思います。サッカーに関して言えば、辛口のコメントをするのは、セルジオ越後さんくらいのような印象があります。

僕のような、あまり知識のない視聴者にも、きちんとポイントをおさえた評論をしてくれる解説者を希望します。感情的な、騒ぐだけの解説ではなく、もっと論理性を持った解説をしてもらいたい。

そうでないと、ファンの目は肥えてこないです。いつまでたっても、騒いでいるファンしか育たないです。(大学の同級生が、イギリスに行ってBBCのサッカー解説を聞き始めてサッカーの面白さを分かるようになったと言っていました。彼らの解説を聞いてみたいです。)

民放のアナウンサーは論外にダメです。かれらは叫んでいればいいと思っているところがありますから。

なぜNHKがJリーグの元選手、あるいは日本サッカー協会関係者ばかり解説者にするのか?協会やJリーグとは立場を異にする、第三者的な評論家、解説者をどうして育てようとしないのか?それともテレビにでる解説者の仕事は、「天下り先」のひとつで、一部の元選手たちにだけ提供されるのか?

元選手たちは、関係者から情報を引き出したりすることもたやすいのかもしれません。局側と、協会側の間の協力関係も大切でしょう。しかし、政治における「記者クラブ」制度同様、われわれ一般視聴者に、透明度の高い情報提供であり、解説が行われているのか?

日本のスポーツ界の問題のひとつがここにあるように思います。閉じられた世界の中の先輩、後輩の関係が、現役時代はレギュラーに採用するかどうか、引退後は仕事の紹介、あっせんなどということに影響を与えていないと言えるか?

なぜリーグの得点王である前田やMVPである小笠原が代表に選ばれないのか?その説明を聞いてみたい。

人間関係における情や利益が、個々人の実力に優先する村社会があるのではないか?解説に関して言えば、元選手でないとダメだという先入観はないか?

実はスポーツだけではないのです。

自分自身、コンサートにしろ、絵画にしろ、あるいはサッカー以外のスポーツにしろ、ちょくちょく観に行ったりするのですが、ずっと低いレベルのファンに終わっています。一義的には自分自身の問題ではあるのですが、われわれファンをリードし、教育してくれる専門家が欲しい。しばしば、「日本のファンは素人ばかりだ」というような話も聞きます。素人のレベルが上がっていかないと、プロの人たちのレベルも上がらない、というのが僕の意見です。

NHKに返りますと、日本代表の現状を、世界のレベルから見て評論、解説してくれる解説者を希望します。いつまでも、耳に心地よい話、根拠のない精神論、たいしたことない褒め言葉ばかりでは、われわれファンのレベルも上がらないです。

Jリーグバブルはとっくの昔に崩壊しています。そして、試合内容はガラパゴス化しています。(今年2回の日韓戦を見よ!) 南アフリカで「奇跡」が起こって、勝ち点をとる、あるいはファイナルにでるようなことがない限り、ファンはだんだん離れていきます。野球はMLBに負けないだけの国内リーグがあります。でもサッカーの場合、Jリーグとヨーロッパのリーグとの差はとてつもないほどあるように思います。その差を認めたうえで、Jリーグを強くする長期戦略を真剣に実行していっていただきたいです。そうでないと、いつまでたっても、われわれファンは、ガラパゴス化した、海外には通用しないプロサッカーを見ることになりますから。

東京FMでも紹介されたようです。

Tokyo FM朝の番組「クロノス」で、マイクロソフトオフィス世界学生大会が紹介されたようです。(というのは、僕は聞いていないのです)

先週木曜日5月20日朝8時ごろですが、世界学生大会でワード8位だった慶応の中村彩さんが紹介されたそうです。

クロノス (一番下までスクロールしてください。記述があります。)

菅野圭介回顧展

この前の日曜日横須賀美術館でみた「菅野圭介」展が、日経新聞の文芸欄で紹介されています。この後、同展は愛知県一宮市、長野県東御市(「梅野記念絵画館」)を巡回するとか。秋、東御で開かれるときには、まだ行ったことがない梅野記念絵画館を訪問しましょう。

梅野記念絵画館

鞄と心理

ラジオ人間です。テレビよりもずっとラジオを聞く時間が長いです。毎日聞いているのは、NHKのラジオ深夜便とラジオあさいちばんでしょうか。
5月10日の週のラジオあさいちばんの「健康ライフ」で、東京慈恵会医科大学精神医学講座教授・中山和彦さんが、「鞄と心理」というテーマでお話をされていました。身に覚えがあるというか、身につまされるというか、そんなお話でした。
ポッドキャスティングで聞くことができます。クロイヌのおすすめ!
NHKラジオあさいちばん「健康ライフ」

明日の日経新聞朝刊をご覧ください。

明日5月12日は小社にとっては「メディアデー」。
日経新聞朝刊には全面広告を出します。スノーウィーを抱えて走るタンタンの絵柄を使った広告なので、きっと目にとまるはず。企業の皆さん向けの広告です。
そして夜は、日本テレビの「笑ってコラえて」という、所ジョージさんが司会役の番組で、小社が運営しているIC3というIT資格を取り上げていただくことになっています。小社の資格を取り上げていただくのは、昨年のMOSに次いで2回ということで、たいへん感謝しています。