いさぎよい転職

投資において一番重要なことのひとつは、「損切り」ということかと思います。いったん買ってしまった株や債券が、ずるずる値下がりし始めたとき、きっといつか好転するだろうと期待していると、ますます下がってしまい、ついには「塩漬け」状態になってしまうなんてことが、多々あります。自分自身も含めて、これを経験していないアマチュアの投資家は、ほぼゼロではないかと思います。下手すると1990年以降、この20年間、ずっと塩漬けになっている日本株を持っているという人もいるかもしれません。

「損切り」ができるようになれば、一人前だと思っています。

キャリアにおいても「損切り」が出来る人が、どのくらいいるだろうかと思います。特に日本において。

アメリカの会社(日本子会社ではなく、アメリカ本社)の、ある部門のトップが今年始めにその部門を去りました。この人の後任には、同じ部門にいた女性の部下Aさんが就任しました。それと同時に、同じ部門にいた男性の部下Bさんがこの会社を去っていきました。彼はその部門のトップになることを狙っていたようでしたが、当面、その可能性がないことが決まり、別の会社でチャンスをさがすことに決めたのではないかと想像します。

Bさんが転職を決めたのには、他にも理由があったのかもしれませんが、そのいさぎよさに、なにか晴れ晴れしいものを感じます。

日本においては、「キャリアにおける損切り」は少々難しいのではないかと思いますが、ひとつには転職市場、新たな受け入れ企業における待遇やチャンスの問題があるかもしれません。

また、経験的なところからのコメントですが、心情的、感情的に、区切りをつけることができない人が多いようにも思います。恋愛にしろ、仕事上のことにしろ、自分自身でなんらかの結論を出し、区切りをつけることは、簡単ではありません。

僕もこれまで損切りがちゃんとできてきたわけではありません。株式投資に関して言えば、一部ですが「塩漬け」になったままです。アベノミックスのお蔭で日本株が上がっているうちに、損切りをした方がいいのかもしれません。

事業も、どうしてもうまく行かない時、損切りをするのは容易いことではありません。特に社長の自分が決めたプロジェクトの場合。「君子の豹変」ではありませんが、たとえ自分が言い出したことであったとしても、過ちを認める勇気と度量を持つように、日頃から自分を鍛えていきたいです。

すべてのことには終わりがあり、継続しているように見えようとも、その内側では休むことない変化が起こっています。企業にしろ(1000年続く会社!)、野球チームにしろ(巨人軍は永遠です!)、あるいは人と人の間の愛情にしろ(永久の愛を誓います!)、永遠神話を、一時的にでも信じたいという気持ちはわからないでもありませんが、自分の存在からして、永遠不滅ではないことを忘れず、人生のいろいろな局面で、いさぎよい決断をすることを学びたいです。

メメント・モリ(memento mori)、すべての人が、いつかは必ず死んでいく。

プロとは?

柏のネルシーニョ監督が突然の辞任表明。今シーズン、リーグ戦の戦績がぱっとしない柏。昨日鹿島に1−3で敗れた直後の一方的な辞任発表だった。「失敗につぐ失敗が敗因。こういう負け方はプロとして受け入れがたい。」「チームを3位以内にするのが私の使命。上に上がるチャンスを取りこぼしてきたのは何かの理由がある。」

この前大宮をクビになったべルデニック監督も、日本人選手について、「プロであれば、選手はやる気を自分で持つべき。監督が選手をやる気にさせないといけないというのは、プロではない証拠。」というような発言をしていた。

ネルシーニョも、柏の選手たちに、プロの選手としてのなにかが欠けているという趣旨のことを言っている。それはなにか、聞いてみたい。

今年、柏の試合は、2試合見ている。どちらもひどい試合だった。一試合目は、4月13日の甲府戦(アウェー)で1−3の負け。二試合目は、5月26日国立であった浦和とのホーム試合。この試合は2−6でボロボロにやられた試合で、後半、腹が立った僕は途中で退席してしまったくらいだった。過去、ネルシーニョの魔法と言われてきたのに、一体、どうなっているのかというのが、この2試合の感想だった。

結局、魔法の言葉に反応してくれない選手たちに、魔術師がさじをなげたということか?

プロ意識という意味では、なにかが足りないのは、スポーツ選手だけじゃない。

『がんと死の練習帳』(中川恵一著)

今年12月の誕生日で54歳になります。先日は、大学卒業30周年記念の集まりの知らせもありました。すこしずつですが、自分に残された時間があとどれくらいなのか、そんなことも考えるようにしています。健康を維持しながら(病院のお世話になることもなく)、毎日規則正しい仕事時間を持ちながら、時には夜遊びにも出かけられるような、「気力、体力、知力」を、どのくらい維持できるのか。

僕がいつも立派だなと思っているニューヨークにいるアメリカ人弁護士は、80なん歳になろうとしていますが、ガンも克服し、自宅をオフィスにしながらまだ仕事をしていますし、週一回のテニスも秋から復活させると聞いています。
彼に初めて会って(1996年か97年のはず)食事をする際に、彼がレストランのウェーターに、「こちらのオレンジジュースは、絞り立てか?」と確認したうえで、「オレンジジュースには氷をいれないでくれ」と注文していたことを覚えています。その後、何回と彼とは食事をしてきましたが、相変わらず、「オレンジジュースには氷をいれない」というルールを守っています。体の内蔵を冷やすことはしないということです。

『がんと死の練習帳』の著者は、東大病院の先生で、1960年生まれということなので、僕とほぼ同い年です。もともとこの本は、2010年5月、『死を忘れた日本人 どこに「死の支え」を求めるのか』というタイトルで出されたものを、今回、文庫本で出すにあたって改題、修正したもの。あとがきは、東日本大震災を経験した日本人へのメッセージにもなっています。

死を考えることは、まさに人生と人間存在の本質を考えることだと思います。
できるだけ、本質的なことを考えていく「練習」を継続していきたいです。