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歴史を大切にすること、寄付行為、帰属意識。

あることがあってこんなことを考えています。

日本人は過去の歴史をすぐに忘れてしまう、特に都合の悪いこと。それはきっと他の国の人たちも、大なり小なり同じことが言えるのだろうと思う。加害者としての歴史は時に国家の力の誇示と栄光に結び付けて語られることがあるくらいだし、他国に与えた苦痛は忘れて、被害者としての出来事ばかりを繰り返して語ることが多いのは日本人だけではないのかもしれない。それでも日本人はあまりこの点に関しては、決して自慢できるような生徒ではないように思う。

国という大きなレベルよりも実はもっと大切な歴史がある。

それは自分という人間の歴史。そもそも一番身近に感じる歴史は自分自身が物ごごろついてから起こったこと。
多くの人は過去の出来事について、写真をはじめとして、ちょっとした記念品など、思い出として大切にしていることだろう。
それも自分の歴史を記憶して留めておきたいという願いの現れ。

それで寄付がこの歴史を大切にするということとどう関係するのか?

自分が「お世話になった」と思っている経験があるとすると、その経験は自分一人でできたものではなく、他の人たちによって可能だったはず。例えば、学校。留学もまた一つの例になる。

個人の歴史を大切にする、大切に思っている、ということを示す「表現方法」として、とても強い意志表示になるのが、「命の次に大切」だとも言われる(という人さえもいる)「身銭」を提供する(寄付する)ことなのではないか?

ここで、金額の多寡は2次的なことで、大切なことは1000円であっても、3000円であっても、身銭を切るということ。(一食分が500円というのであれば、500円)

日本人は寄付しないという。アメリカなどと比べて、寄付行為は非常に低調だと言われている。

現在ある自分を作ってくれた経験を提供してくれた組織が寄付を求めているとき、まったく寄付に参加しないということと、歴史(さまざまにある「歴史」の中で一番大切な「自分の歴史」!)を大切にしないということは関係ないと言えるだろうか?

過去の体験(=自分の歴史)はいろいろな意味で現在につながっているし、実は将来へも伸びている。自分の歴史は自分の家族の歴史につながり、さらには自分が生まれ育った町へとつながっていく。

いまの日本人の帰属意識の薄さ、低調な寄付行為、そして歴史意識の低さ。そういうことは複雑系のように絡み合っているように思えてならない。