予定通りに行かないのが人生ゲームでしょう?!2月に行けなかった金沢へ。

ベンチャー企業への投資機会があったとして、「優秀な経営陣たちと平凡なビジネスプラン」の組み合わせと、「平凡な経営陣と優れたビジネスプラン」の組み合わせの、どちらに投資すべきか?という定番のような質問があります。「正解」は、たとえ平凡なビジネスプランであっても、優秀な経営陣たちに懸けるべし、ということになっています。それは、たとえ優れたビジネスプランであっても、プラン通りに行くことなんてほとんどない。現実がプランとは違って展開していくとき、優秀な経営陣であれば、それなりに対応していくことができるだろうけど、平凡な経営陣では、想定していない状況にうまく対応していけないだろうから、ということらしいです。

いいことも、起こってほしくないことも、考えていた以上にゆれてしまうことがあるのが、人生かと思います。
なので、サッカーニッポン代表メンバーたちが、「自分たちのサッカーができなかった」という言葉をはいているのを聞くと、「そんなこと当然じゃない?!」といまさらながらあきれてしまいます。

サッカーの試合も、プラン通りにいくはずがない。だって、相手があるんだもの!ビジネスだって、相手(マクロの経済状況、競争相手、お客さん、取引先などなど)がある話で、自分たちが思い描いたとおりになんて、なることの方が珍しい。特に始めた当初は。

2月はじめに脊柱管狭窄症から来る腰痛で動けなくなり、2月中に予定していた金沢訪問はキャンセルすることになりました。明日、その金沢に行くことになっています。お会いすることになっていたお取引先の方々にお会いします。今年前半の腰痛(いまもそれは続いているのですが、少なくとも日常生活は大丈夫)も、まったく予定外。

ところで、最初にご紹介した投資に関する組み合わせですが、この設定は現実とはちょっと違っているかなという気がします。
「優秀な経営陣と優秀なビジネスプラン」の組み合わせはあっても、「平凡な経営陣と優秀なビジネスプラン」の組み合わせは、例外ではないかな?平凡な経営陣が、優秀な経営陣たちが作った優秀なビジネスプランを、失敬してきたのでない限りは。

diversity (ダイバーシティ)、本気?!

東京都議会で、ゲスとしかいいようのない女性蔑視のヤジを飛ばした自民議員(複数?)にみるように、日本での男女の平等の実現は、はるか彼方にあるように思う。男女の同権をホンネでは望んでいない男たちがまだまだこの国の支配層には多いように見える。

「ダイバーシティ」(人材の多様性)のことを口にする企業人、政治家、役人が増えているけども、本気でやる気があるのだろうか?
先日、朝日新聞で、日本IBMはアメリカ本社にならって、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランヴェスタイト)が差別を受けることがないように、人事部に担当者をおいているというインタビュー記事を読んだ。日本IBMに勤めている友人の話でも、本気になって取り組んでいるということで、さすがだなと感心した。
ダイバーシティと口にするのは簡単なんだけど、本気でやるガッツを持っている日本企業、日本の経営者なんて、非常に少ないという気がする。

今日、BBCのHard Talkというトーク番組で、著名な経済史の教授がでていた。「彼女」の名前を聞いたのも初めてだった。その方が学者として以外にも、53歳で男性から女性への性転換を行った人だということで話題になった人だということを、番組の終わり頃に番組の司会の話で知って、びっくりした。シカゴ大学、エラスムス大学(オランダ)などで教えていた人で、論文や著作品もたくさんある。そのうちのいくつかは日本語にも訳されている。学者としても非常に評価の高い方のようだ。

日本で、たとえば東大の先生が、性転換を行ったあとにも、教授として教え続けることができるのか?NHKがその教授が性転換をしたあとにも、看板番組の一つに出演してもらって、その方の専門分野でのご意見を拝聴する度量があるのか?(視聴者や保守系政治家たちからのクレームにも毅然とした態度で接することができるのか)

口先で人材のダイバーシティを言うのは容易いのだけど、本気にやろうと思うと、ものすごくエネルギーを使いそうだ。

Deirdre McCloskey ホームページ
Deirdre McCloskey(Wikipedia)

Wカップ期間中、「オシムが語る」を読む。

Wカップが始まってからテレビを見る時間が増えています。普段はほとんど見ないのに。
日本以外で応援しているのは、初出場のボスニア・ヘルツェゴビナ。今日のナイジェリア戦はボスニア・ヘルツェゴビナにとってはまったく不幸な試合でした。
オフサイドとして無効になったゴールは、ビデオ判定があったならば有効得点になっていただろうから。そうであったなら、ナイジェリアに1−0で勝って、ベスト16に進む可能性が残っていたかもしれない。でも結果は、0−1でナイジェリアに負けってしまった。

今回、ボスニア・ヘルツェゴビナが出場できた背景には、日本代表監督も務めたボスニア出身のオシムの尽力があったからだと言われています。旧ユーゴスラビアが分裂したあと、内戦の中でお互いに傷つけあい、殺しあった人たちの間にたち、どうにかこうにかサッカー協会をはじめとする関係各位の同意を取りつけここまで持ってくるには、さぞかし忍耐強い交渉などがあったのではないかと想像します。

オシムが日本に滞在していたころ、実はなんどか彼に会ったことがあります。一度は年末の天皇杯でだったように記憶しています。もう一度は町の中華料理店で。
そんなこともあり、また彼のアフォリズム溢れる発言に惹かれたこともあり、オシム関連の本は数冊読んでいます。

「オシムが語る」は、「オシムの言葉」に続く本ですが、オシムのサッカー観だけでなく、故郷への思い、戦争、「サッカーと資本主義」、ナショナリズムなど、幅広いテーマでのインタビュー集となっています。

いつか仕事に一区切りがつき、1年くらい旅行をするような時間ができたときに行ってみたいところの一つが旧ユーゴスラビアあたりです。(ずっと行ってみたいと思っているアフガニスタンには、もしかして、僕が生きている間には安心して旅行できるような平和は来ないのかもしれない)

日本の政治は、戦争ができるような方向に持っていこうと、前のめりになっています。アメリカからの強烈な圧力のせいか、またその圧力を利用してこれまでずっと狙っていた本格的な再軍備を目指しているのか。

Wカップは国家間の代理戦争だと例えられることがあります。サッカーで足の蹴り合いをしている程度ですむのなら、どんどん周辺諸国とも競い合ってほしいです。

25日の対コロンビア戦はきっと厳しい試合になるだろうと想像します。
前回の南アフリカ大会で、守りを中心としたチーム戦略でベスト16に残りましたが、それではつまらないということで、もっと攻撃的なサッカーを目指してきたのが、この4年間の日本代表だったと理解しています。しかし、コートジボワール、ギリシアとの試合を観ていると、日本のチームには攻撃的なサッカーは向いていないのではないかと思いました。そもそもそれだけの力はチームとしても、個々人の能力としても、ない。それならば、たとえエキサイティングではなかったとしても、自分たちの現実にあったチーム作りをすればいい。強いチーム相手に、おもしろい攻撃サッカーを展開できるような力はないのだから。

たとえつまらなくてもいいので、国際舞台の試合では日本代表には勝ってほしい。負けたあとにいつも聞かされる、「気持ちを切り替えて次の試合に臨みます」というフレーズはもう聞き飽きました。

いまの日本政治の権力者にも、Wカップでの日本代表チームの状況をよく見てもらいたい。権力者には、身の程をわきまえた国際政治、外交関係をお願いしたいです。逆立ちしても勝てない国を仮想敵国として挑発するような発言を繰り返すよりも、たとえエキサイティングではなかったとしても負けない試合(ということは、そもそも戦いに入らないということ!)を展開する方が、賢いのだから。