『生きるための論語』(安富歩著)

『原発危機と「東大話法」」(明石書店)によって話題になっている著者による「論語」紹介。先輩研究者たちの解釈にとらわれることなく、生きていくための知識として、どのように論語を読み込んでいけばいいかという意図のもとに書かれた「論語」の解説。読み終えたばかりですが、もう一度読み返してみたいと思っています。

論語を非常に権威的に解釈しがちな、学校のお勉強。それからはほど遠いところにあるのが著者の論語解説。孔子の人物像も、謙虚さにあふれ、かつダイナミックに時代を生きた、柔軟性に溢れる人のように思えてきます。

「現代の日本社会が、企業といわず、政府といわず、大学といわず、民間組織といわず、ありとあらゆる組織において、耐え難いほどの閉塞感に苦しんでいるのはなぜか。それは制度の問題でも、仕組みの問題でも、法律の問題でも、慣習の問題でも、文化の問題でも、グローバリゼーションの問題でも、途上国の台頭の問題でも、少子高齢化の問題でも、何でもない、と私には思えるのである。それはひとえに我々の社会が君子を欠いており、経営者が小人によって占められているからであり、「和」が失われて「同」と「盗」とに覆いつくされているからではないだろうか。」

著者がいう「君子」とは、どのような人物なのか、それは本書を読んでみてください。

古典を自らの権威づけに使っている学者や評論家の先生たちからすると、著者の議論は、粗の多いものとして片付けられるのかもしれませんが、僕自身は、「久しく枯渇して歴史文献とされている『論語』を、再び精神的源泉としての古典に蘇らせようとする試み」(北京大学教授・橋本秀美)として評価しています。

ちょうど先月、岩波新書から『論語入門』(井波律子著)がでています。次はこの本を読んでみようと思っていますが、著者は、「『論語』がいずこにおいても色あせない大古典として、長らく読み継がれてきたのは、単に教訓を記した無味乾燥な書物ではなく、読む者の心を揺り動かす迫力と面白さに富むためだと思われる。『論語』の魅力、面白さは、その中心をなす孔子という人物の面白さ、魅力に由来する」と序で書かれています。

そう言えば、井上靖の晩年の大作に『孔子』がありましたね。