それほど早くは動けない。

 僕が住む町でも数日前まではガソリンスタンドの多くが休業状態だったのに、昨日は営業していた。それも制限販売ではなく、満タンもOKだった。ただし、なじみのスーパーに行くと、生鮮食料品の棚にはほとんどなにもなかった。上水道は復活したけども、下水道が復活していないため生鮮食料品の衛生管理ができない、よって販売は控える、ということだった。もしかしたら、それプラスで、東北エリアからの野菜が入っていないのかもしれない。
 
 今週、アメリカの投資情報紙「バロンズ」が日本株は買いだという記事を出した。それをまた日経新聞が安直に簡約して記事として出していた(バロンズの記事、中身は大した記事ではないのだけど)。先週、あれだけ狼狽売りがでた株式市場は、今週に入ってなんとなくあがっている。

 ものごとは、みんなが思いたいほど速いスピードで復旧に向かっているのだろうか。もうこれですべて、おわりなのだろうか?(毎日余震の連続だ)。

 東京に住む人たちはほとんど被害を受けていない(少々街が暗くなったって、いいじゃないか)。野球界のボスたちに至っては、2万人の人たちが犠牲になり、さらに東北エリアのいくつかの町は実質的に消滅したということさえ忘れようとしているのではないか(そうでなくて、どうしてあれだけ自分たちの利益のことだけを考えられるのだろうか)。

 僕が住む町はかなりの被害を受けているけども、それは首都圏では例外的なことかもしれない。昨日の夜は計画停電があり、さらに下水道の復旧にめどがつかないこともあって、川を越えた某所にある銭湯は、同じ町に住む人たち(お風呂難民)で商売繁盛だった(銭湯は大好きだよ!)。下水道の復旧のあと、液状化のため傷んでしまった道路や傾いてしまった家々、これらの修理には一体どれだけの時間とお金がかかるのだろうか。特に個人の家々。数年前、市庁舎建設の話があったけども、あれは中止にして良かった。

 ものごとは多くの人が期待するほど、あるいは忘れたいほど早いスピードでは動いていないし、動くべきでもないように思う。被害を受けた人間の生活はそう簡単には元通りにはならない。金融市場、あまり被害を受けていない都市部の人たちはそう期待したいだろうけども。2万人をこえる東北エリアの人たちが亡くなり、いくつかの町は津波ととも消えていったというのに、どうしてそんなことが起こらなかったかのように、3.11前と同様の経済活動を行えるというのか。福島の人たちのことを見ないふりして電力を使いっぱなしというわけにはもういかない。(予定通りイベントが行われるのなら、僕は来月福島の郡山で少人数の人たちにお話をさせてもらうことになっている)

 深く考えないで行動しても、同じ間違いのくり返し。飛ぶためには一度は屈まないと。だからこそ、「ゆっくり、いそげ」。また復旧、復興の努力をしている人たちを忘れないで、支援すること。(でもテレビは恐る恐る、以前のようなバカ番組をまた始めようとしている。)

 それにしても、第2次世界大戦の犠牲者数はすごかったと改めて思う。日本だけでも200万人を越える軍人が、100万人近い一般人が死んだ。祖父や祖母たちの世代の人たちは、戦後どんな思いで生きてきたのか。