サラ・パレツキーと福岡正信

 年末に読んだ本2冊。
『沈黙の時代に書くということ』(サラ・パレツキー著、原著は2007年)、『自然農法・わら一本の革命』(福岡正信著、1975年に出版されている)。
 ひとりはV.I.ウォーショースキーという女性探偵を主人公とするシリーズの著者。1947年アイオワ州に生まれ、カンザスで育ち、カンザス大学卒業後、シカゴ大学で政治学の博士号を取得後、以来シカゴ在住。
 もう一人は1913年愛媛県伊予市生まれ。1933年岐阜高農農学部(現在の岐阜大学応用生物科学部)卒後、税関植物検査課、農業試験場などの勤務を経て、1947年帰農。以来、自然農法一筋に生き、2008年逝去。
 まったく異なる二人なんだけど、現代社会で生きるということを真剣に考えつづけている(いた)人たちが書いた本。
 サラ・パレツキーの本を読むと、50年代のアメリカ中西部で問題意識の高い少女として育つことが決して楽なことではなかったと知ることができるし、アメリカが男女等しい権利を認めるまでかなりの時間がかかったことがわかる。保守的な宗教観を持ったひとたちは今でも決して男女の同権を根本的には認めていないようでもある。
 僕は彼女のV.I.シリーズをまだ読んだことはなかった。この本は、タイトルと帯にある彼女の素敵な笑顔に引かれて買ってみた。彼女は1960年代、まださまざまな差別があったとはいえ、その差別を解消していこうとして多くの人たちが闘った時代のアメリカ社会で10代、20代を送った人なので、商業化、保守化していくアメリカ社会に、心の底から怒りややるせなさを持っている人だ。たとえばこんな文章に彼女の人柄や現在の気持ちが表れている。
「V.I.に自惚れはない。世界を救おうとはしない。できないことがわかっているからだ。しかし、自分の周囲の小さな世界で、リンカーンがやったように、”傷口に包帯を巻き、戦いに赴いた者の世話をし、その未亡人と遺児の世話をする”ことを心がけている。いまの時代、リンカーンのように偉大なヒーローが見つかるなら、わたしは多くをさしだすだろう。ワシントンへ行くたびに、リンカーン記念館に寄って氏の坐像を見あげ、悲しげで、聡明で、やさしそうな顔をみつめる。この世にもどってきてアメリカ合衆国を救ってほしいと祈る。歳月が流れるなかで、多くの人々が同じことをしているのを知った。」
 もう一人の福岡正信は、もしかして、日本国内よりも海外においての方が評価が高いのかもしれない。昨年、広島市長の秋葉さんが受賞したマグサイサイ賞(アジアのノーベル賞と言われている)の「市民による公共奉仕」部門賞を受賞されているそうだ。去年、フィナンシャルタイムスのコラムで、エコロジストとしての福岡さんを高く評価するエッセイを読んだこともある。
 『わら一本の革命』の中で、なんども科学を否定すると書かれているけども、実はしっかりとした実証実験に基づいて自然農法の議論を展開されている。「自分は科学を否定しますが、科学の批判にたえられるような農法、科学を指導する自然農法でなければいけない、ということも言っているわけなんです。」福岡さんの科学批判は、都合のいい前提条件、限定された条件のもとでのみ成立するような「科学的真理や理論」に向けられている。
 この本の中には驚くような話がいくつもでてくる。僕は以下のような話は本質をついた話だと思うし、本当に羨ましい考え方だとも思う。
 その1:「農林省の役人は、ただ一つのことを知る努力をすればいいと思うんです。それは、日本人は何を食べるべきかということです。この一つのことを、追究し、何を日本では作るかといことを決定すれば、それでほとんど事足りると、私は思うんです。(中略)農林省の役人なんかはですね、春でもくれば、すぐに野山になんかへ出かけて、春の七草、夏の七草、秋の七草みたいなものをつんで、それを食べてみる、というようなことから始めて、実際の人間の食物の原点は何であったのかということを、まず確認する必要がある。」
 その2:「村の小さな神社の拝殿を掃除しておりましたら、そこに額がかけられておるんですよ。それを見るというと、おぼろげながら、俳句が数十句、短冊のような板に書かれているんですね。このちっぽけな村で、二十人、三十人の者が、俳句をつくっていて、それを奉納していた。多分、百年か二百年ぐらい前だと思うのですけど、それだけの余裕があったんです。そのころのことですから、貧乏農家ばっかりだったはずですが、それでも、そういうことをやっていた。現在は、この村で一人だって、俳句なんかつくっている余裕はないわけです。(中略)いわゆる農業が、物質的には発達したように見えて、精神的には貧弱なものになってきている一例といえるわけです。」
 その3:「私は、実は、国民皆農っていうのが理想だと思っている。全国民を百姓にする。(中略)一反で、家立てて、野菜作って、米作れば、五、六人の家族が食えるんです。自然農法で日曜日のレジャーとして農作して、生活の基盤を作っておいて、そしてあとは好きなことをおやりなさい、というのが私の提案なんです。」
 福岡さんは老荘思想に大きな影響を受けている。多くの人は「老人の戯言」と片付けてしまうのかもしれないけど、僕の中では学生の頃からずっとあこがれている世界だ。
 こんな方が愛媛にいらっしゃった。愛媛の小中高に通ったのに、残念ながらその存在を習った記憶がない。学校なんかで教えてもらえないことの方がずっとおもしろいし、本質的なことなのかもしれない。