『日本国の正体』(長谷川幸洋著、講談社刊)

 一部で話題になっている日本の権力構造分析の書。著者は、東京新聞論説委員。政治家、官僚、メディア、いったい誰が本当の権力を持っているのか? あらためて、利益集団としての官僚たちの強さを感じました。つまるところ、日本の政策を作り、実行してきたのが彼らであり、政治家やメディアは、官僚の「ポチ」(著者の言葉)にすぎなかったということが何度も強調されます。
 大学の頃、一時、就職先として新聞社を考えたこともあるのですが、そちらの分野にいかなくてよかったなと思っています。この本を読んでいても、決して魅力を感じません。また、申し訳ありませんが、この本で描かれている霞が関の現状にも尊敬の念を持つことは難しい。この本の中で実名であげられている一部の政治家にいたっては、哀れみさえも感じてしまいました(例:アル中で、あの無様な記者会見のあと、辞任した大臣)。
 政治家やメディアの人間が、どうして官僚の「ポチ」になってしまうのか?いろいろと理由はあると思うのですが、頭の悪くない官僚たちに対抗するだけの勉強の時間や調査していくだけの組織力を持たないこと、情報が官僚たちに集中しがちであることなど、基本的なところで大きなハンディキャップがあるように思います。
 外務省の秘密文書を、外務官僚たちが隠蔽し、さらには秘密裏に廃棄していたことが今週の各紙で連日報道されています。この動きの背後に、どのような思惑があるのか、なぜ外務省の元高官たちがこのことを新聞各紙に認めつつあるのか、来る選挙での政権交代の可能性との関連は?などなど、ボクのようなノンポリでもちょっと関心を持っています。
 
『日本国の正体』にかえると、著者は、新聞は速報の役割は通信社にまかせ、もっと分析に注力するように提言しています。それは、自分の頭で、しっかり考えよということもあります。ビジネスでも思うのですが、孤独に耐え、自分の頭でしっかり考え続ける人が、日本には少ないように思います。他人事ではなく、自分にとって、大きな課題としてずっと感じていることでもあります。村社会の付き合いの中で、自分の考えを持つことは、決して容易いことではないのですが、それなくして、オリジナルなこと、普遍的なことを考えたり、実行していくことができるのか?
 それから、この本のひとつの問題提起は、
「税金は、誰のものか?」ということです。今回の不況対策としての補正予算14.7兆円のうち、減税に代わるものとして実行された定額給付金は2兆円。これ以外は、基本的に直接われわれ国民に「還元」されるのではなく、官僚たちのさまざまなフィルターを通してばらまかれるお金です。決して多額の金額ではないかもしれませんが、ボクもバカ正直に税金を払ってきています。この国で生まれ育ち、生命の危険もそれほど感じることなく、日々安全なうちに経済活動を行っていくことができるのは、日本という国家のおかげかと思っています。そうとはいえ、税金はもともとわれわれ国民のために使われるべきであって、特定の利益集団のために使われるべきものではないはずです。
 そういう意味で、著者が「定額給付金は決してばらまきではない。もっとも公平にすべての国民に分配されたもので、もっと大きな金額であるべきだった」という意見に、ボクは目からウロコでした。
 政権交代がかかる選挙まで、あとわずかの時間しか残されていませんが、選挙前に一読する価値はある本かと思いました。