市場が教えてくれること

 これまでビジネスを行ってきてよかったなと思うことがいくつかあります。その一つは、市場が教えてくれることです。それは、すべてのビジネスは変化していくこと、それに対応して変わっていくことができる人や組織(役所や国家もこの組織に含まれます)だけがサバイブできるということ。今年はアメリカ発のサブプライム問題が、後半に入って経済に大きな影響を与えています。きっと来年もこの影響は続くことと思います。(先週夕食をしたファンドを運用している会社の社長からも、今年は苦労が多かったというようなことを聞きました)ずっとバブルだと言われながら続いてきたアメリカの不動産ビジネスの活況にも、来るべきものが来て、永遠に続くお祭りなんてないことを忘れていた人間だけが大騒ぎをしているということかもしれません。
 われわれ日本人が大好きな平家物語も、この世に不変のものがないことを教えてくれています。松尾芭蕉の「奥の細道」も、同様です。ところが、特定の状況に慣れ親しんでしまうと、いつの間にか、それがずっと続いていくもののように錯覚してしまうのが、われわれ人間の情けないところで、会社の売上げにしても、給料にしても、あるいは土地や株の値段にしても、ずっと右上がりで続いてくれるものだと勘違いしてしまうことがよくあります。

 でも、市場は勘違いしているわれわれにお灸をすえるかのごとく、突然背中を見せて去っていくことがあります。そんな時、僕らは「え、そんな馬鹿な!」って反応で、市場の「理不尽さ」に腹を立ててしまうのですが、しばらくして落ち着いてくると、自分の過ちに気づき、そして市場の変化を受入れていく人と、頭ではわかっているけれども、どうしても市場からのメッセージを受け入れることができない人に分かれていきます。少なくとも僕が生きている間には再び来ることがないであろう、80年代後半から90年代前半にかけての日本経済のバブルとその崩壊を、20代から30代にかけて経験したことが、少々大げさな言い方になりますが、世のはかなさを教えてくれました。その頃、金融市場において働くことができたことを感謝しています。

 基本的に失業の恐れのない公務員の人たちと話をしていて、ある意味気の毒に思うことは、彼らが市場の厳しさも、素晴らしさも知らないということです。僕はマクロ的に見たときには、失業や倒産があることは決して悪いことではないと思っています。もちろん、長期にわたって失業しているケースは別です。失業や倒産が、われわれ働くものたちにとって、どれだけ精神的、経済的にダメージになりうるのか、それを考えると、ミクロ的にはたいへん大きな問題です。

でも、恐れを忘れ、謙虚さを失った時、市場がそのような人間や会社に対して与える教訓が、失業や倒産という形をとるのであれば、マクロ的に見たときには、決してマイナスのことばかりではないと思います。

 僕の会社も、あるいは僕個人も、同じところに留まることのないこの世の中で、市場の声に耳をすませながら、自分たちが(少しずつでも)変わっていくことができれば、きっとその変わっていく自分たちの努力を、市場は見捨てることはないだろうと、楽観的な僕は信じています。