過ちを認められない政府

定期的に拝読しているブログの一つに、池田信夫さんのブログがあります。IT & Economics という副題にある通り、IT、経済学、ビジネスに関する文章を読ませていただきながら、勉強させていただいています。

9月1日のブログでは、日本政府が80年代から90年代にかけておこなっていた「シグマ計画」に関して書かれています。それと関連づけて、経産省による「日の丸検索エンジン」プロジェクトに関して言及されているのですが、また政府による無駄遣いが始まるのだろうか、と思ってしまいました。詳細については、このブログを読まれることをお薦めします。

政府による投資事業の大きな問題点は、「失敗することは想定していない」と言い切らないとならない点だと思います。(太平洋戦争でもそうでした、皇国は決して敗れることはない、万が一、敗れるときは滅んでいくんだ、みたいな美学があるだけで)
でも事業なんていうものは、失敗するものの方が多くて、成功することは簡単なことではないです。ましてや、役人はビジネスの専門家でもなんでもない。政府の金を目当てにする企業だって、その心意気というか、意図なんて、あてになりません。自分たちの金でなければ、多くのひとはいい加減になりますから。

役人は、「失敗するかもしれないが、これはやる価値があるからやる」とは、公言できない。だって、そんなこと言えば、「血税をそんなことに使うのか!」という批判でいっぱいになるでしょうから。
だから、自分たちのやることには間違いはありえない、王様は裸であることはわかっているのだけど、裸ではない、と言い張るしかない。

それにもともと、役人になる人たちは、いさぎよく間違いを認めることはなかなかできない人たちのようだし。

アマゾンやグーグルの巨大な投資をささえてきたのは、政府のお金ではなく、資本市場から調達してきたお金でした。そのお金は、リスクを覚悟したお金であり、どん欲なお金ですから、これら企業の事業の進め方に関して、きちんとした説明がない場合、非常に厳しい判断をくだします。当然、国民にきちんと説明しようとはしない、その気もない、その重圧には耐えられない役人たちとは、まったく異なる対応になります。常にそうだとは言いませんが、民間のリスクマネーを活用した事業の進め方のほうが、真剣度が違いますから、当然、成功する確率も高くなると思います。何にしても、コスト意識のない話は、だめですから。