「オーラル・ヒストリー」をめぐる攻防_御厨先生に噛み付いた輿那嶺先生
posted at 2020.07.09
今朝の朝日新聞の文化・文芸ページで、オーラル・ヒストリー(引退後の政治家や官僚からの聞き取りをもとに現代史を叙述する方法論)をめぐっての対立があった。本人たちがそれをどれだけ自覚していたのかはわからないけど、きっと異議というか、その方法論の問題点を指摘した側は意識して異議を唱えたに違いないと思うし、新聞社側もわかった上でこの異議を掲載したに違いない。
「語る_人生の贈りもの」というちょっとした「私の履歴書」的なコーナーがあって、そこに政治学者の御厨貴先生が今日でシリーズ15回目になる話を掲載されていた。今日は、平成天皇の生前退位をめぐる天皇と政治家(官邸)の対立の話だったのだけど、御厨先生こと、このオーラル・ヒストリーという手法の「大家」。
これに「異議」を唱えるというか、問題点を指摘したのが、輿那嶺潤という「若手」(になるのかな?)政治学者。かれは毎週木曜日に「歴史なき時代」という題でエッセイを書いている。今日はオーラル・ヒストリーという手法が、政権を批判する学者に、権力者が引退後聞き書きの機会を与えるはずがなく、権力者が現役の間は(たとえ適切であろうと)厳しい論評を控えることになってしまうだろう(その結果、今若い政治学者に元気がないという状況が発生している)、またオーラル・ヒストリーの手法は国内政治には可能であったとしても国際政治には無理だろう、なぜなら中国や北朝鮮の権力者たちが聞き書きの機会を与えてくれるはずもなく、結局日本側の交渉当事者の一方的な話しか聞き取ることはできないだろうから、というものだ。
この二つともオーラル・ヒストリーという手法の限界を適切に示しているように思うのだけど、当の御厨先生はどのような反応を示されるのだろうか?それとも若手学者の戯言として無視するだけなのか。
それにしても御厨先生が語る自身の「オーラル・ヒストリー」と同じページに、その方法論の課題を(わかった上で)示している輿那嶺先生の心意気はよしとして良いのではないかと思うし、できれば御厨先生からの反論もお聞きしてみたいものだ。