『I DESIGN』石岡瑛子著

社員のYさんから「この本は社長が気に入る本だと思います」と、薦められた本。お借りしたのは、もう半年も前になろうかと思いますが、今週末集中して読み終えました。そしてYさんには、「ええ、本当に面白かったです」と、明日会社でお返ししようと思っています。

石岡さんは、今年の1月、お亡くなりになられています。ウィキペディアをご覧になると、どのような方か、基本的なことはわかります。
また、この本に関しては、石岡さんと交流があった松岡正剛さんが、詳細な紹介をされていますので、そちらもご覧ください。(松岡正剛の千夜千冊

こういう日本女性には脱帽します。この前、東京国際ブックフェアで聴いた瀬戸内寂聴の講演会のことを書きましたが、フリーランスとして活躍する日本女性(企業に属さない作家やデザイナーたちは皆、フリーランス)の声には、男からは聞こえてこない強さ、しなやかさを感じることが多いです。ダイバーシティなんて口にしながらも、あまり変わっているようには見えない政界、財界相手に仕事をしていくことが、いかに大変なことか。彼女たちは大きな声で叫ばなくとも、男尊女卑の日本社会にするどい矢を放っています。

この本で僕が付箋をつけた文章は以下の通り。

「本当のところ、日本とアメリカ、あるいは日本とヨーロッパの関係は、文化のレベルで言えば、深いところでは何も触れあっていないのではないかという感じが強い。最近では、皆簡単にイースト・ミート・ウェストなどという表現を使っているけども、それはただの出会いがあっただけで、メイク・ラブもしていなければ結婚なんてとんでもないし、結婚できるような相手だと、深いところでは認めあっていない。何も一線を越えていない。だからこそ今、憎しみあい、愛しあうような深い触れあいの中から、結びつく何かを創っていかなくてはならないと私は考える。」(P45)

「ポールは『MISHIMA』製作のとき三十代の後半だったが、『自分のエクスキューズをしてはいかない年齢に来た』と言っている」(p47)

「私はこの仕事をやってみてはじめて、日本人は戦後、西洋人に助けられながら今日の繁栄がもたらされたにもかかわらず、自分たちだけでやってきたのだという錯覚と思い上がりを持っていることを知り、びっくりさせられた。そういう意味で、私がこれから将来のことを考えていくうえで、映画『MISHIMA』への参加は実にいい勉強になった。ポールが日本語で映画を創って達成しようとした血の滲むような努力、アメリカ人と日本人が一緒になってポールの夢を実現しようと、汗と涙の努力を惜しまず提供したその結果など、日本の誰も見ようとしなかった、その事実だけが今も重くよどんで残っている」(p50)

「レニ(レニ・リーフェンシュタールのこと)は生きることに最も大切な情熱を三つあげている。自然を敬う情熱、創造への情熱、そして男性への情熱である。この情熱のトライアングルの中心点に位置するのが、人間の肉体とその意志、自然の一部としての人間の肉体とその意志である」(p146)

「私は『忠臣蔵』を、日本という特殊な国の昔の物語として閉じ込めてしまわないようにしたい、現代人である観客に強くフックする何か強いアイディアがほしいと考えていたので、ヴェルナーのオープニングとエンディング案は生々しいけど、料理を上手にすれば絶対にいけると考えていた。その案を採用するかどうかの是非の差は、西洋で創作活動を行っている私と、日本で表現を考えている三枝や島田との大きな違いかもしれないのだ」(p262)

「私は日本人に生まれてほんとうによかったと誇りを持って生きている人間のひとりです。日本の伝統文化は、世界の文化遺産として尊敬を集めているし、世界でも特別にすぐれた文化のひとつだと声を大にして自慢できる文化です。しかし私は、伝統文化を伝えるためのメッセンジャーとしてここに来ているのではないく、ひとりの表現者としての私の価値を、デザインという言語を通して伝えるためにここに来ているのです」(p292)

「何度も書いたことだが、私は日本人であることに誇り(プライド)を持っている。私の誇り(プライド)は昔のサムライに共通しているほど強い。しかし、日本人を売りものにしたくない。だからと言って、西洋人になりたいわけではけっしてない。何々風という見られかたから解放されて、自由になりたいだけだ。評論家たちによって、私をある型にはめられてしまうのが面白くない」(p307)

「現在のように情報が発達してくると、ますます文化は画一化して地域色を失い、面白くなくなるのではと心配する人もいるようだが、私の意見では全く逆さまだ。私の感じるところ、今は地球全体がハイブリッド文化の実験場になってきている。地域色を失うまいと意固地になっている頑な精神を自由に解放させることで、表現の可能性は無限のひろがりを見せていく」(p393)

「はっきり言えることは、これからは、ますます個人のアイデンティティを問われる時代になっていくだろうし、人種を超えて、国を超えて、個人レベルでの価値が出会い、スパークし、溶けあい、新しい価値を生み出していくだろう」(p394)

「私が、自分で自分のデザインが正しい答えになっているかどうかをチェックするときに、マントラのように唱える言葉があります。それは、Timeless, Originality, Revolution の三つです」(p407)

「スポーツに関するビジネスを主とする企業が、デザインに保守的であることによるメリットはあるのだろうか?スポーツとは、革新そのものが主題なのではないだろうか?むしろそこに”最も”という言葉をつけ加えてもいいくらいに」(p426)

以上、ながながといくつかの文章を引用しましたが、「グローバル化」の時代、なぜ日本がずっと停滞したままなのか?それを「考えるヒント」がこの本にはあると思います。

歪狭な国粋主義、保守主義、団体主義が強くなりそうな今の日本で、石岡瑛子の声にもっと多くの人が耳を傾けるべきなのではないか?
われわれ日本人と同じように、感情的で、偏狭な考えに陥りがちの隣の国の人たちにも、是非読んでもらいたいとも思います。

蛇足ですが、ビジネススクールに行っている頃、1985年から86年頃だと思いますが、ハーバード・スクエアの映画館で映画『MISHIMA』が上映されていたことを思い出します。その時逃してしまったこの映画は、日本ではさまざまな理由で上映されていません。本当の意味での表現の自由がまだまだ日本にはないことが恥ずかしいです。