「個の自立」と「国の自立」

「個の自立」と「国の自立」はどのように影響し合っているのだろうか。時代にもよるだろうけども、今の日本ではどちらの自立も確かなものかどうか、実に怪しい。

以下のような記事を読みながら、日本と、日本人の自立は、どこから始めればいいのか、考えてしまった。


 「国立医科大学に勤務している間に、文部科学省の意向によって、いろいろな教育改革がなされてきた。OSCE、CBT、PBLチュートリアルといった聞き慣れないアルファベット表示の新しい教育方式が次々と大学に導入され、少々食傷気味だ。これらの発祥地は欧州のものもあるらしいが、ほとんどが米国で盛んに行われているものだ。これらは、文科省が独自に研究して導入したというより、どうも米国のアドバイスもしくは模倣で実施された感が強い」(鈴木修、法医学者、浜松医科大理事)2011年6月11日東京新聞より。

 「日本経済は輸出によって米国債を買い支えるか、円高により輸出ができなくなるかの袋小路にある。(世界最大の対外純資産残高を持っているのに)豊かさが実感されないのも当然だ。(中略)米国債はニューヨーク連銀が保管しており、日本政府は米政府の了解がない限り売却はできない。しかし「トモダチ」ならば交渉に乗ってもらうべきだ」(松原隆一郎、東大教授)2011年6月10日東京新聞より。

 どうしてこれだけ日本はアメリカの「言いなり」にならないといけないのか、われわれ有権者はそれをよく考えた方がいい。そうでない限り、いつまでたっても日本の、あるいは日本人の自立は得られないだろうし、豊かさは感じることはできないだろう。「アメリカの傘の下で守ってもらっているから」ということが答えなら、それが本当に機能するのか、維持されているのか、これからも期待できるのか、議論した方がいい。

 上の記事の鈴木先生のご意見は以下のように続く。「私は米国とたもとを分かつ方がよいとは思わない。同盟関係は確かに必要だが、米国至上主義には反対である。また、米国にノーと言えない日本の姿勢こそ大問題なのだ。その点、同じ敗戦国であるドイツの姿勢は大いに参考にすべきだ」まったく同じ意見です。