フランクフルトブックフェア訪問

 Dscf1384 Dscf1365
社員のSさんと、60回を誇る、フランクフルトブックフェアを訪問し、さきほど帰ってきました。とんぼ返りのヨーロッパ訪問で、体はがたがた(腰痛!)ですが、出展している多くのブースの素晴らしさに驚きつつ、ヨーロッパの知的水準の高さ(の表れだと、ボクは感じました)に、あらためて感心しました。本を読まなくなっているのは、世界的な傾向のはずですが、ドイツの出版社および一部英米の出版社の力の入れようをみていると、東京国際ブックフェアでの日本の大手出版社のブースが、非常に寂しく思えてきます。
 幕張メッセのメッセという言葉のもとになっているフランクフルトのメッセ。数日、ここに通うだけで、フランクフルトの中心地には一度も足を踏み入れることなく、空港、ホテル、メッセしかみることがありませんでした。が、豊かなヨーロッパの出版文化にすこし触れることができたことがうれしいです。
 今週は、ヨーロッパでも、テレビを見ても、新聞を読んでも、世界の金融市場のニュースばかりでした。日頃読んでいるFinancial Timesの記事で、アメリカにおいても、格差問題を、大きな社会問題と考える人口が増えていること。自分は、持たないグループに入っていると感じている人が増えていること。そして、新しい大統領の政策いかんでは、アメリカも、ヨーロッッパ並みの規制を持つようになるかもしれないこと。そのような記事が気になりました。
 この記事の中で、アメリカにおいて、social contract、つまり(ルソーの著作でも有名な)「社会契約」が、新たに出来上がるかもしれない、という文章が記憶に残りました。日本には、われわれ国民と、政府の間に、「社会契約」というような概念があるのでしょうか? 日本の新聞で、連日のように報道されている公務員による不正記事を読んでいると、われわれ国民の税金をいったい、何だと考えているのか、それとも、考えていないのか。「契約」というような考えは、われわれの税金の使い方に関しては、まったく存在していないから、こそどろをやっても、なんら罪の意識さえもなくなっているのかとさえ、想像しています。かつての社会主義国の腐敗した役人たちのレベルのように見えてくるのが、残念でたまりません。