「認知症とともに生きる私」(「絶望」を「希望」に変えた20年)クリスティーン・ブライデン著

最近読んだ本で心の奥からなにかを感じた本。
超・長寿社会となり、100歳まで生きることがそれほど珍しいことではなくなってきている。長く生きていると、二人にひとりか、三人にひとりというくらいの割合で、認知症になったり、癌になったりする。その前段階で、糖尿病にかかる人はもっと多いのかもしれない。ぼくも、もしあと10年、20年、あるいは30年の時間生かされているとすると、認知症かガンか、あるいは他の病気になっているのかもしれない。その前に、腰痛で腰が曲がっているかも!そうならないために、せいぜい体を動かし、少しばかりの運動もしているつもりなんだけど、まだまだ足りていないかな。

高校生の時に使った英語の参考書の中に出ていた、「運動する時間を見つけなかったら、病院のベッドの上で過ごす時間を作らないといけなくなる」という文章は今もよく覚えている。

「認知症とともに生きる私」の著者は、4月末に京都であった認知症に関する国際会議でスピーカーとして来日していたようで、その前後に、新聞では認知症に関する記事が多く出ていた。著者は46歳の時に認知症になっていることを宣告され、それから20年間、新しいパートナーに支えられながら、認知症に関する理解を広め、認知症に苦しむ人たちを助けるための運動で先頭に立って国際的な活動を続けてきた。

パソコン、インターネット、銀行のキャッシュカードをはじめとして、個人IDとパスワードは、生活していくために、必ず覚えておく(どこかに記録しておく)必要がある。
数字やパスワードが覚えられなくなるどころか、自分の家がどこにあるのか、昨日何が起こったのか(約束したのか!)、明日のためにさっき何をしたのか。そんなことの多くが、自分の記憶の中に留まることなく、全て流れ去っていったとしたら、ぼくらは今の時代に生きていくことは不可能かもしれない。クルマが運転できなくなったら、それはそれはたいへんなことだ!

そんな不可能な状況に追い込まれた人たちが、今の社会には多数いることを覚えておきたい。


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