Wカップ期間中、「オシムが語る」を読む。

Wカップが始まってからテレビを見る時間が増えています。普段はほとんど見ないのに。
日本以外で応援しているのは、初出場のボスニア・ヘルツェゴビナ。今日のナイジェリア戦はボスニア・ヘルツェゴビナにとってはまったく不幸な試合でした。
オフサイドとして無効になったゴールは、ビデオ判定があったならば有効得点になっていただろうから。そうであったなら、ナイジェリアに1−0で勝って、ベスト16に進む可能性が残っていたかもしれない。でも結果は、0−1でナイジェリアに負けってしまった。

今回、ボスニア・ヘルツェゴビナが出場できた背景には、日本代表監督も務めたボスニア出身のオシムの尽力があったからだと言われています。旧ユーゴスラビアが分裂したあと、内戦の中でお互いに傷つけあい、殺しあった人たちの間にたち、どうにかこうにかサッカー協会をはじめとする関係各位の同意を取りつけここまで持ってくるには、さぞかし忍耐強い交渉などがあったのではないかと想像します。

オシムが日本に滞在していたころ、実はなんどか彼に会ったことがあります。一度は年末の天皇杯でだったように記憶しています。もう一度は町の中華料理店で。
そんなこともあり、また彼のアフォリズム溢れる発言に惹かれたこともあり、オシム関連の本は数冊読んでいます。

「オシムが語る」は、「オシムの言葉」に続く本ですが、オシムのサッカー観だけでなく、故郷への思い、戦争、「サッカーと資本主義」、ナショナリズムなど、幅広いテーマでのインタビュー集となっています。

いつか仕事に一区切りがつき、1年くらい旅行をするような時間ができたときに行ってみたいところの一つが旧ユーゴスラビアあたりです。(ずっと行ってみたいと思っているアフガニスタンには、もしかして、僕が生きている間には安心して旅行できるような平和は来ないのかもしれない)

日本の政治は、戦争ができるような方向に持っていこうと、前のめりになっています。アメリカからの強烈な圧力のせいか、またその圧力を利用してこれまでずっと狙っていた本格的な再軍備を目指しているのか。

Wカップは国家間の代理戦争だと例えられることがあります。サッカーで足の蹴り合いをしている程度ですむのなら、どんどん周辺諸国とも競い合ってほしいです。

25日の対コロンビア戦はきっと厳しい試合になるだろうと想像します。
前回の南アフリカ大会で、守りを中心としたチーム戦略でベスト16に残りましたが、それではつまらないということで、もっと攻撃的なサッカーを目指してきたのが、この4年間の日本代表だったと理解しています。しかし、コートジボワール、ギリシアとの試合を観ていると、日本のチームには攻撃的なサッカーは向いていないのではないかと思いました。そもそもそれだけの力はチームとしても、個々人の能力としても、ない。それならば、たとえエキサイティングではなかったとしても、自分たちの現実にあったチーム作りをすればいい。強いチーム相手に、おもしろい攻撃サッカーを展開できるような力はないのだから。

たとえつまらなくてもいいので、国際舞台の試合では日本代表には勝ってほしい。負けたあとにいつも聞かされる、「気持ちを切り替えて次の試合に臨みます」というフレーズはもう聞き飽きました。

いまの日本政治の権力者にも、Wカップでの日本代表チームの状況をよく見てもらいたい。権力者には、身の程をわきまえた国際政治、外交関係をお願いしたいです。逆立ちしても勝てない国を仮想敵国として挑発するような発言を繰り返すよりも、たとえエキサイティングではなかったとしても負けない試合(ということは、そもそも戦いに入らないということ!)を展開する方が、賢いのだから。