宇野千代と瀬戸内寂聴。

世界学生大会もあって、一週間ほどアメリカに行きましたが、行く前から調子が悪かった耳鼻が、いっそう悪くなり、ひどい風邪のまま帰国。
ここ数年、冬の間に必ず一度はお世話になっている丸の内の某耳鼻咽喉科で薬をもらってきた。
ここの耳鼻咽喉科の女医さん、歳のほどは70半ばとお見受けしますが、現役で働いていらっしゃいます。あまり愛想がよくないのがたまに傷ですが、まだまだお元気に働いていることは素晴らしい。

ずっと公私のおつきあいがあるニューヨークのアメリカ人弁護士は80歳を過ぎた今も、現役で働いている。数年前、がんの手術もしたけども、まだテニスをやっている。さすがだと思う。

今週末、宇野千代の『行動することが生きることである』というエッセイを読了。すごい日本女性!若い頃の写真をネットで拝見すると、とても魅力的。「人生は死ぬまで現役である。老後の存在する隙はない」なんてことを口にしても、実態が伴っているから説得力がある。
この本で印象に残ったことは、宇野千代がドストエフスキー全集を自分の気力の源としていたということ。
「東京と那須と岩国とに、私は三軒の家を持っている。どの家にも、同じくらいの大きさの本棚をおいて、その中に豪華本のドストエフスキー全集だけを列べている。」「机の前に坐るたびに、その全集を見上げ、『あるな』と思う。その全集を観ただけで、私は勇気を感じる。」

もう一人、すごい日本女性といつも感心しているのは、こちらはまだ「現役」でご活躍中の、瀬戸内寂聴。去年だったかな、東京国際ブックフェアの基調講演でお話をお聞きして、とても感動した。
昨晩、久しぶりにテレビをつけてみたら、NHK教育テレビで、瀬戸内さんと、ExileのAtsushiの二人が対談をしていた。眠くなったので、途中で寝てしまったけど、おもしろかったのは、瀬戸内さんが、Atsushiの質問に答えて、「読んでいて面白いのは外国の翻訳小説。新しい動きに遅れないためにも、もっと読みたい」という趣旨の回答をしていたこと。この辺、宇野千代のドストエフスキーに通じるものがある。

そういえば、瀬戸内寂聴は、1996年6月に亡くなった宇野千代と親交があったようで、『わたしの宇野千代』という本まで出している。この本は、宇野さんが亡くなったあとの1996年9月にでている。弔辞も含まれているということだけど、古本を買って読んでみようかな。

宇野千代も、瀬戸内寂聴も、若い頃は男たちとの恋愛に生き、そばにいるとこちらが火傷してしまいそうな存在だったのかもしれないけど、「生涯現役」を貫く気力、体力はすばらしい。「青春とは心の持ちようだ」なんていいながら、ひたすら地位を維持しようとしている権力亡者の政治家たち、サラリーマン重役たちとは、まったく違う。

彼女たちは組織人ではない。一人で、自分の力で生きてきた、職人たちだ。
生きている限り、本当の意味で、現役で居続けたい。異性を思う気持ち、おカネを稼いでいくという意欲。
最後のページで、宇野千代がこんなことを言っている。
「私たち人間が、その生活している間に儲けた金、というのは、銀行預金の利子や、人に貸した金の利子であってはならない。必ず、自分の体力または能力を駆使して、昨日まではなかった金を、新しく儲けた場合でなくてはならない。」「これが私の、金というものに対する持論なのであった。これが私の、金というものに対する健康な解釈なのであった。」
会社や国に、老後のめんどうをみてもらうことが難しくなった今の日本で、厳しくもあるけども、文字通り「生涯現役」を貫くための覚悟がここにはあると思う。

(写真は動物病院で爪切りをしてもらっているカイ。彼女は宇野千代や瀬戸内寂聴とは違って、♂犬と関係することなく歳をとってきた、14歳のおばあちゃん犬。緑内障で視力を失ったカイですが、甲斐犬の世界の宇野千代になってもっと生きてほしい。)
カイの爪切り