『采配』(落合博満著)_野球界のオシム。

今シーズンからのにわか野球ファンです。過去10数年、サッカーばかり見ていたので、野球に関心を持ったのは小学校低学年以来ではないかと思います。1960年代後半、まだ野村が現役だったころ、南海ホークスの春のキャンプを、高知の大方町に、なんどか見にいきました。とは言え、いまでもサッカーのファンです。今年の天皇杯にも、うちの会社はスポンサーで入っていますよ。

この本の中でなんどかでてくる、2007年の日本シリーズ、完全試合ペースで進んでいた先発投手を9回に替えたという話も、お取引先で中日ファンのKさんから聞くまで知らなかったほど、ずっと野球には見向きもしていませんでした。今シーズンは、ちょっと考えがあって、野球のこと、野球ビジネスのことをもっと知りたいという気持ちもあり、東京ドームのシーズンシートを買い、かなりの試合を観に行きました。が、必ずしも熱心なジャイアンツファンという訳ではありません(投手・澤村のファンです。2年目も、あの面構えで、堂々と打者に立ち向かってほしいです)。

『采配』を読んで、「野球界のオシムを見つけた!」と、勝手に喜んでいます。ずっとオシムのファンですが、落合の考えの中に、オシムと共通する所をいくつも見たように思います。(あくまでもボクの勝手な感想です)

両者ともに、非常にストイックに自分の仕事に全身全霊を捧げており、理(合理主義)と情を併せ持った職人的監督かと思います。また両者とも個人主義者かと思います。しっかりと「個人が立っている」からこそ、他の人たちへもしっかりと配慮ができる人たち。そして歴史を学んでいる点もすばらしい。

落合の言っていることでボクが非常に共感した指摘が2、3あります。

ひとつは、「すべての仕事は契約を優先する」というタイトルの文章。日本社会は、「国のため」、「世界一になるため」などどいう大義名分があると、組織図や契約を曖昧にして物事を決めようとする。しかし、選手たちは球団と契約している個人事業主なのだから、WBCに参加するかどうかは、まず本人、さらには各チームの同意が必要だという指摘。

二つ目は、日本の野球界は、「野球協約の見直し」が必要だという指摘。1951年に制定された野球協約(野球界における憲法)は、根本からの見直しが必要なのではないか、また野球界の最高責任者であるコミッショーナーは、これまで法曹界の出身者が多いにもか関わらず、お飾り的存在になっていて、なにも仕事をやっていないという指摘。

この2点は、野球界だけの話ではないです。日本の政治、ビジネス全般にも言える課題です。

そしてもう一つ、感心し、共感するのは、本の一番最後にでてくる、「人生を穏やかに生きていくことには、名声も権力も必要ないと考えている。要するに、仕事で目立つ成果を上げようとすることと、人生を幸せに生きていこうとすることは、まったく別物と考えている。(中略)一度きりの人生に悔いのない采配を振るべきではないか」という考え。

この最後の文章にいたるまで、あれだけ野球(仕事)でどうやって勝つのか、結果を残すのか、そのためにどれだけ一心不乱に仕事にのめり込むのかということを滔々と語った後に、この発言。そんなクールさがすごい。

この前、長年ジャイアンツファンだと言う方が、「落合の野球はだめだ」と語気を強めて話されたので、ちょっと圧倒されました。にわか野球ファンのボクなので、まだまだわからないことばかりなのですが、この本の中で語られる落合の言葉には共感を覚え、また見倣いたいと思うところが多々ありました。

来年も東京ドームでのシーズンシートを買います。監督・落合はいませんが、解説者・落合を期待しています。東京ドームで、ラジオの実況中継で落合の解説を聞きながら、野球をもっと理解できるようになりたいです。