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もともとないカネを、必要もないモノに使う。

今日の朝日新聞朝刊、「神話の陰に_福島原発40年」の4回目を読んで、カネの誘惑にはそう簡単に勝てないのだなと思った。内容は、福島県双葉町が原発マネーのおかげでうるおい始め、いつしか「小さな町なら負担の重さにためらうような」投資を行い、「どんどん生活はよくなった」のだけど、「原発バブル」はいつまでも続くわけではなく、「いったんタガの緩んだ財政規律は戻らず」。ついには、第二の夕張になることを避けるために、再度「原発マネー」を引き出すために、原発増設要望決議を町議会は可決(91年)、というようなこれまでの歴史を紹介した記事。

この記事の中で、前福島県知事の佐藤さんは、原発マネーに依存し、原発の増設を繰り返す自治体を、「麻薬中毒者のようだ」とも言っている。

福島の原発の話ほど大きなことではなくても、それまで質素に暮らしていた農家が、公共事業のために田畑を売って入った現金を、パチンコやら飲み食いやらに使い果たし、借金そして家族崩壊なんて話は、全国至る所で聞く話だ。

朝日の記事を読みながら、この前Financial Timesで、We spend money we do not own on things we do not need. というような表現を読んだのを思い出した。

東京電力の肩を持つつもりはないし、今、他府県の避難所でたいへんな思いをしている原発地元の人たちをせめるようなことを言う意図ではまったくないけども、東電の地元対策を行ってきた担当者たちは、カネの力で変わっていく人たちを見てきたことだろうから、いまは口にしなくとも肚には言いたいことがあるのではないかと想像する。原発を誘致した市町村のひとたちも、当初は危険に敏感であっただろうに、カネがもたらしてくれる「豊かさ」に、その感覚もだんだんなくなり、いつの間にか、「依存症」になっていったのかもしれないなと想像する。

「カネと色」がすべてだとは決して思っていないし、それだけの人生ではないと思っているけども、われら凡夫の人生は「カネと色」が原因になった事件や事故が多いと思う。原発をめぐる人間模様にも、「カネと色」の話はたくさんありそうだし。

だから、自分が仕事をして稼いだカネならまだしも、もともとないカネを、特別必要もないモノに使うなんてことはやらないことだとあらためて思う。いつかきっと身を滅ぼすから。