組織のDNA

 昨日の朝日新聞朝刊に、「JAL再生タスクフォース」の一員に指名された富山和彦さんのインタビューが出ていました。富山さんとは、今年始め、靖国神社であった薪能の火付け奉行のお役でごいっしょでしたし、過去にも何度かお会いしたことがあります。富山さんが今回どのようなお仕事をされるのか、関心を持ってみていますし、いい仕事をされることを心からお祈りしています。

 このグログでも何度かJALに関しては書いたことがあります。何人かの友人、知人はJALに在籍していますし、「卒業者」である知人もいます。JALについては、2年前に「地に墜ちた日本航空_果たして自主再建できるのか」(杉浦一機著)というような本もでていて、世の中の関心は高いかと思います。
 JALはANAとどこが違うのか。その一つとして、「親方日の丸」意識がしばしば指摘されます。多分、心ある社員の人たちは、それを乗り越えていこうという意思をお持ちだと思います。ところが、終身雇用で他の会社や業界を知らない人たちの集まりの中では、自分たちの考え方のどこが「親方日の丸」なのか、それに気づき、関係者の間で問題意識を共有するという、問題解決のために必要な出発点にさえなかなか立てないのではないか。入社段階で、JALとANAの間で社員の質に違いがあるわけではなく、どちらの研修プログラムが優れている、というようなこともないのではないかと思います。ところが何年かのうちに、会社の文化や雰囲気に染まっていく間に、「競争意識」において差がついてくる。
 これはJALだけの問題ではないと思います。うちの会社も含めて、すべての組織が常に意識していないといけない落とし穴です。学校しかり、役所しかり、政党しかり、そして国家しかり。組織は常に自分とは異なるものを排しようとします。(同じような価値観、学歴、経歴の人間を入れたがります。)人間の生理がまさにそうであるように、組織もまったく同じ作用を持っています。それは自己保存として当然のこととも言えます。大きな変化がない間は、そんな行動を続けていても存在を脅かされることはありません。
 ところが競争条件が大きく変わるとき、過去の継続では不十分になり、組織の存在は危機にさらされます。が、同質の人間の集まりである組織のメンバーからは、その危機を乗り越えていくための新しいアイデアもリーダーシップも、なかなか出てきませんし、逆にそのような芽をつぶそうという動きがでてきたりもします。

 ある銀行系の証券界社で役員をなさっていた先輩からお聞きした話です。「日本の会社の経営者は劣性遺伝を行ってきた。退任する社長は、自分が気に入った、でも、自分よりも劣る後継者を指名していく。何代かにわたって、それを繰り返している会社が多い。」JALがその一社かどうかはわかりませんし、今の西松社長は異なるのでしょうが、あまりにも大きな負の遺産を背負ってご苦労されているのでしょう。
 先日から、
『がんと闘った科学者の記録』(戸塚洋二著、立花隆編)という本を読んでいます。1998年、世界で初めて素粒子ニュートリノに質量があることを発見し、ノーベル賞にもっとも近い日本人と言われながら、昨年ガンでお亡くなりになられた物理学者のブログを、立花隆が編集したものです。この本の中で、病気のため去っていったかつての職場を訪れたとき、以下のような気づきがあったとされています。
 「昔の職場を訪問し、一緒に仕事をしてきた若い諸君が大変活躍しているのを見たとき、大切なことに気がつきました。家族、さらには生物の進化と同じように、仕事も世代交代によって進化を遂げる、ということです。古い世代は自己の痕跡を残さずに消え去るべきなのです。しかし、ほんの少しですが、自分のDNAが次の世代に受け継がれているのを感じ、大いに満足しました」と。組織の経営者は、自分のDNAを、次の世代がすこしでも受け入れてくれたならば、それを密かな喜びにして、静かに去っていけばいいのではないか?
 自らのガンを真っ正面から見つめる戸塚さんの姿勢は感動的です。本物の科学者というのは、自らのガンに対してさえも、こんなにも明晰なのかと、あきれるほど感心しました。(「未知の現象に対して理論的に解明できないとき、私のような物理学者なら、まっ先に何をするか。それはデータベースの作成です。詳しいデータを集め、解析し、現象の全体像、ヴァリエーションを捉える。こうして現象の背後にある本質を抽出していくわけです。」)
 最初の話に返りますが、富山さんたちの「JAL再生タスクフォース」がいいお仕事をされることを期待しています。JALのDNAを変えていくというかなりの荒療法が必要な仕事かと思いますが。