冷静と情熱の間

 昨晩夕食をご一緒した人からお聞きした話です。ある防虫剤のメーカーでは、「虫供養」の日を設けているとか。そのメーカーの仕事は、人間にとって、「うざったい」存在である虫たちを駆除していくことで、それは殺生につながる。自分たちが食っていけるのは、虫たちのおかげで、その虫たちがいなくなったら、自分たちの仕事はなくなる。でも、自分たちは虫たちを殺生しながら、生きている存在。1年に一度、そんな自分たちの矛盾した存在を忘れないように、「虫供養」の日を設けている。そんな話でした。

 自分たちのやっていることを時には冷めた目で見ることができる人と仕事をするのが、好きです。決して自分を卑下するということではなく、自分のやっていることの限界を知っておくことは大切なことだと思います。(世界を変えるようなものを作りたいとか、人を感動させたいという情熱は、素晴らしいのですが、往々にして、自分の仕事の過大評価につながることも見受けられます。若いうちはそれくらいの野心がなくちゃ、ダメだとも言えますが。)

 任天堂の山内さんが時々言われるそうですが、任天堂のゲームなんてなくなっても、人は生きていけるのだから、分をわきまえないといけないというのは、ものすごく真っ当な感覚だと思います。今後、任天堂の商品やサービスが、われわれの生活のインフラになってきた場合は別として、いまのところであれば、任天堂がなくなっても、僕らは生きていけます。(でも、電力会社や石油会社、あるいは食品メーカーがなくなると、僕らは生きていくことができなくなるでしょう。)そんな任天堂の時価総額が、日本の株式市場で3位にあるということは、日本がまだまだ平和で安心していられる社会だということなのでしょう。