『アンビルトの終わり』(飯島洋一著、青土社刊)

副題に「ザハ・ハディドと新国立競技場」とあるように、アンビルトの女王を取り上げた論評ではあるのですが、シュプレマティズムから東京オリンピック2020までの1世紀あまりの時代と思想の変遷をたどった990ページにわたる大著。同年代ということもあってその筆力に感心しながら拝読。以下は、最終ページからの著者の「叫び」:

「死」に至るまで、物事を突き詰めようとする「ユートピア」も、(ザハ・ハディドが憧れた)「シュプレマティズム」も、「アンビルト」も、「ポトラッチ」も、すべてが何かを、大きく間違えている。
「大きな物語」ではなく、また決して偉大な英雄の伝記でもなく、神話でもなく、ただ個人の人間の小さな努力の積み重ねが、いま必要になっている。たとえそれが、社会変革などもたらさないとしても。
たとえば、大きな自然災害から人の身を守るためにつくられた集落がそうであったように、決してデザインの派手さではなく、まず、人の命を守る建築、人が確かに生きるための建築こそが、いま、強く求められている。少なくとも、私はそう固く信じている。そして、それをつくる人こそが、「本物の建築家」である。

この10年ほどこれまで以上に世界を支配しつつある、いわゆるGAFAなどのインターネット企業について、著者がどのような考えを持つのか、聞いてみたいと思いました。

書籍「High Line」 と映画「ジェイン・ジェイコブス」

ぼくが発行人を務めているアメリカン・ブック&シネマで数年前発行した本で、「High Line」という作品があります。
チェルシーからウェスト・ヴィレッジにかけてHigh Line があるエリアは、マンハッタンでももっとも「ホット」なスポットになっています。この本を読んでニューヨークに行ってもらいたいなと思っています。
この本を出していたことで、昨年、映画「ジェイン・ジェイコブス」を日本で配給する会社の関係者とお会いする機会がありました。ジェイン・ジェイコブスはあまり日本では知られていないと思いますが(ぼくはよく知らなかったので、お会いした後に、彼女の本を1、2冊読みました)、ニューヨークの建築や都市計画について、積極的な市民運動を行った方です。
まだ映画を見に行っていないのですが、必ず見に行こうと思っています。
映画「ジェイン・ジェイコブス」

Peace Hotel

Pic_0073
Peace Hotel、中国語で、和平飯店。占領と戦争の時期が長かった上海の歴史を思うとこのホテルの名前の重さを感じます。

「人生は忍耐」。

昨日から朝日新聞夕刊「人生の贈りもの」のコーナーに、建築家の安藤忠雄さんのインタビューが出ています。この前、槙文彦先生の講演を拝聴したことを書きましたが、もう6、7年前になるはずですが、安藤さんのプレゼンもお聞きしたことがあります。関西人のプレゼン上手とはこのことだと思ったことを記憶しています。
2回目の今日の話から。
「建築の美というのは数学です。目をつぶって唐招提寺の形を思い起こすと、その向こうにぽーっと幾何学が浮かんでくる。」
「みんなが生きることに真剣でした。喧嘩の原因はみんな生活のことです。毎日の暮らしのために真剣に喧嘩する人々の中で育ち、他人の気持ちを考えるようになりました。人生は忍耐だと思ったのも、このごろです。」
人生は忍耐だなんて、辛気くさい話ではあるのですが、それが現実かなと思います。単純に我慢していればいいとは思いませんが、そう簡単には結果はでませんし、「継続は力なり」というように、継続していてこそ、初めて力がついてくるのではないかとも思います。勉強も、ビジネスも。

槙先生のプレゼン風景

Img_0103_2
昨晩、学士会館で建築家・槙文彦先生のプレゼン風景。スライドは、ペンシルバニア大学の図書館。

リスクと労を嫌うようになった結果。

夜、MITとハーバードクラブの集まりで、建築家・槙文彦先生の講演を拝聴する機会がありました。というか、先生を迎えての講演があるということで、参加しました。場所は竹橋の学士会館。一橋大学の如水会館の前です。
日本では先生の仕事では代官山のヒルサイドテラスが一番有名かもしれませんが、NYのワールドトレードセンター跡地の建物のひとつは先生の最新のお仕事になります。MITの人たちが先生に講演をお願いしたのは、MITメディアラボが先生の設計によるものだから。
これまでの作品の写真を多数見せていただきながらのプレゼンで、たいへん面白かったです。お話の中で印象に残ったのは、1950年代、世界の最高峰だったアメリカの建築業界がだんだん落ちていった理由として、
1組合が強くなり、組合の枠を超えた仕事をしないなど、硬直化が進んだ
2弁護士が強くなり、訴訟などを嫌うようになった
3他の業界に優秀な人間が移っていった(たとえば、宇宙産業やハイテク)
ということをあげていらっしゃったこと。
つまるところ、リスクと労を嫌うようになり、人材も集まらなくなったということです。
コンプライアンスでがんじがらめになり、失敗したときの失脚を恐れてすこしのリスクもとりたくない人間が増えている日本と同じだと思いませんか?さらに、人材の流出ということも、教育水準が落ち、全体的に人材に問題があると言われるようになっている今の日本のことかなと思ってしまいました。
槙先生は81歳ということですが、1時間の講演中ずっと立ったままですし、その後の懇親会でも講演参加者の質問に丁寧に答えていらっしゃいました。実際そうだとお聞きしていますが、紳士的な方でした。

横須賀美術館

期待以上の建物でした。本を買ったままで読んでいなかった「建築の可能性、山本理顕的想像力」の著者、山本理顕による設計。家に帰って早速本棚から取り出しました。できあがってまだ3年ほどの新しい美術館。観音崎公園と一体になっていて、建物も環境もすばらしい。
現在行われている企画展、「菅野啓介展」もいい内容でした。もう一度見たいと思っています。
横須賀美術館

DWELL

雑誌「DWELL」の「僕らが好きな家」のアンケート。
選ばれた20の家の中から、どの家が一番に選ばれるのか?

http://www.dwell.com/houses-we-love/

祝日本人建築家デュオのプリツカー賞受賞

以前も黒犬通信で紹介したことがある妹島、西沢コンビ。もうたくさん記事も書かれているはずですが、プリツカー賞受賞。
Dwellマガジンの記事から。
Dwell

土佐派の家

 この前高知に帰ったとき、「土佐派」と名乗っている高知県の建築家のグループがあることを知りました。実際、これまで3冊、「土佐派の家」というムック版書籍を発行しています。(「土佐派の家PART I、PART II、PARTIII」)この前泊まったオーベルジュ土佐山も、「土佐派」の中心人物の一人、細木茂さんの作品のひとつ。この本の中で、土佐派の建築家たちが高知県の木を使って、100年保つ家をつくろうという心意気で仕事をしていることが紹介されています。すばらしいと思います。
Img_1372

Img_1368
 戦後日本の家は、安かろう、悪かろう(と言っては申し訳ないのですが)の家が多くなってしまって、ハウスメーカーの家なんて、20、30年で取り壊しなんてものが多いように思います。安い海外の木材をつかってコストを下げることが多いようですが、僕は家に関しては、ちょっと「ナショナリスト」に近いので、これからの家は地元でとれた木材を使って、100年保つような家を、飽きのこないシンプルなデザインで作るのがいいのではないかと考えるようになっています。毎年訪問している秋田の国際教養大学は、秋田杉をつかった校舎や図書館を建てていて、これもすばらしいです。
 うちの近所も、20年、30年程度の家がほとんどなのですが、どんどん壊されています。後には、ばらばらのハウスメーカーの家があっという間に建つというのがパターンです。昨日も、歩いていると、そんな現場に出会いました。ちょっとドキッとするような言葉かもしれませんが、「家が屠殺」されるような感覚を持ちました。でも、家畜たちと違って、家の廃材は、産業廃棄物として、すべて捨てられていくのでしょう。古民家と言われるようなしっかりした旧日本建築の場合、立派な柱が再利用されるようなこともあるようですが、20年前、30年前、既製品として安上がりに作られたハウスメーカーの分譲住宅には、そんな資材となるようなパーツは含まれていないのかもしれません。
 このごろのデフレの話しで、安いものばかりが売れる、適正な利益を上げることが難しくなっていると、言われています。利益を上げることに関しては、企業経営における努力が必要ということはもちろんなのですが、背景として、戦後の日本がじっくりとものを考える訓練をしなくなり、肝心要の家に関しても、20年程度でスクラップになるようなものしか建ててこなかったこと、安いもの、すぐに捨ててしまうようなものばかりが身の回りにはんらんしているというような状況があります。ちょっと値段が高くても、いいものを買って、末永くおつきあいする、そんな買い物の仕方が好きです。人との付き合いも同じ、かな。
 「土佐派の家PARTIII」の中に、こんな言葉がありました。「人が家を作り、家が人を作る」。

土佐派ネットワークス

Img_1433_2