アジアの「病い」

21世紀はアジアの時代だとか、もうすぐ中国がアメリカに代わって世界で最大の経済大国になるだと、中国を頂上にアジア、アジアと連呼されていますが、本当にアジアの時代は続くのだろうかと思っています。

今朝の朝日新聞一面にある中国共産党の第18回党大会の記事見出し。「中国 幹部人事で暗闘。胡氏「院政」画策、江氏が巻き返し」。反日教育を押し進め、10年前に党書記長をやめた江沢民、今回の党大会で書記長をやめる胡錦濤。どちらも自分の息のかかった人間を権力機構に残し、自らの権力を維持しようと画策しているわけで、老害の恐ろしさは日本どころではないのかもしれません。

アジアは、老人を大切にすること、敬意を常に忘れずということを、後輩や子供たちに、欧米諸国よりも強調しがちだと思います。そのことは決して悪いことではないのですが、強調することを越え、強制するところまで来ると、「老害」と言いたくなります。

アメリカ大統領選挙では、クリントン元大統領が民主党の「後輩」であるオバマ現大統領の応援演説を各地で行い、特に民主党全国大会でのスピーチはカリスマ性に溢れるすばらしいスピーチだったと思いますが、クリントンが「院政」を行っているなんて話はまったく聞いたことはありません。

アジアが本当に民主主義を自分のものにしたのか?経済発展の初期段階においては、民主主義が必ずしも有効な体制ではないことは理解しますが、ある程度の段階に達したあとにも、一部の権力者たちによる専制政治が許されるものなのか?

日本や中国に見られる「院政」や「老害」というのは、アジアが古くから持つ病いかもしれないとも思うのですが、どうでしょうか。