「利」と「理」。

 東大の山脇直司先生のツイッターをフォローしています。お書きになる文章を楽しみに読ませていただいています。この前、このようなことを書かれていました。
 
『明治の日本人は、英語のrightに「権利」ではなく「権理」という漢字を当てるべきであった。』(9月12日)

 このごろ非常に感じることですが、僕らは目の前にある「利」のことをあまりにも追いすぎていないでしょうか。「利にさとい」という言葉があります。(同じような言葉で「小賢しい」という、あまり好きではない言葉があります)

 政権が変わってひとつ残念なことがあります。それは多くの経済団体や業界団体が、手のひらを返したように、献金先を自民党から民主党に変えたり、これまでずっと自民党だけに献金していたのに民主党との付き合いも始めたりという、小賢しさが見え見えな動きが起こったことです。別に自民党がいいとか、民主党がいいとか、そんなことを言っているのではありません。ただ、日本の経済界にはたいした思想も理想もなくて、単に目先の商売のために政治献金をしてきたし、今もそうだということが見えすぎて、それが残念なだけです。

 そうあって当然、そうあっても恥ずかしくないという反論が聞こえてきそうですし、それが現実だよという声も聞こえてきそうですが。

 どこの国にも「利にさとい」人はいますし、所詮、我々ビジネスマンはそういう動物なのかもしれませんが、ある一定の所得水準に達してもなお、「理」を重んぜず、恥も外聞もなく「利」を求める社会は、大きな仕事はできないのではないかと思います。そしてそのような人間や社会は、結果として、「大きな利」も得られないだろう、とも思うのです。それが今の日本社会というか、日本人の情けないところかもしれないです。