競争が自分を育ててくれる

ニートやフリーターに関するある本の中で、「犠牲者のでない競争はないんでしょうか?」という発言を読んで、複雑な気持ちになりました。それは僕自身が、これまで恵まれた、ラッキーな人生を送ってきている、どちらかと言えば、「強者」の立場の人間に属すること。この発言者の気持ちが十二分に汲み取ってあげられないだろう人間が、このような意見に対する、批判的なコメントは控えるべきかとも思うから。

でも、残念ながら、この世の中で、「敗者」のない競争はない。100メートル走をみんなで同時にテープをきりましょうなんて話は、子供に悪平等を教えること。世の中で生きていくことを学ばないといけない子供たち、学生たちに、そんなことを教えていても、プラスになることなんて、何一つない。古今東西、人類は、「適者生存」で生き抜いてきたのだから。

ただ問題は、「敗者」にも存在していくための最低限の水準の生活は必要だということ。その最低限の水準がどのあたりなのか、これも定義が難しい。

これまでも人類は競争を経て成長してきたし、これからもそうでしょう。日本の産業も国際的に競争しているところだけが生き残るでしょう。保護された業界や会社の正社員に、これまで同様の終身雇用なんて、ありえないです。ニートやフリーターの方たちの中には、「正社員になるのが夢だ」という人たちがいるようですが、政府や業界内の自主規制で自分たちを守っている業界は、これから先、終身雇用を維持できることはないですよ。そんな会社の正社員になっても意味はないことが、これからますますはっきりしてくるのではないかと思います。

グローバル化を直視しないで、規制や保護を強めたとしても、競争力のない産業、会社は守りきれないです。これから地方自治体を始めとして、守られてきた組織の倒産や破産がでてくるでしょう。そんな中で、どうやって自分の力をつけていくのか。政府なんて、一番頼れないと僕は思っています。

(お金儲けが得意でなくても、社会に貢献すること、自分の個性を生かせる方法は、他にもあることは覚えておいたほうがいい。それが多様性ということだから。競争の種類は、お金儲けだけじゃないから。もちろん、自分が生活していくお金を稼ぐ力は、言うまでもなく、身につけないといけないけど。会社の中も、営業の得意なひとも必要だし、人付き合いはヘタだけど、商品開発が得意な人、我慢強く事務作業をやっていく人も必要。多様性は組織の存続のために大切なことだと、10年間会社をやっていて実感します。)