『司馬遼太郎・歴史の中の邂逅』

司馬遼太郎の歴史小説はほとんど読んだことがないのですが、エッセイはかなり読んでいます。なぜかわからないのですが、歴史小説というものを読み続けることができず、何冊か試してはいるのですが、いつも、途中で投げ出してしまいます。

これまででている文章の中から、歴史上の人物に焦点をあてて書かれたエッセイを取り出してまとめてある、『司馬遼太郎・歴史のなかの邂逅』(中央公論新社)がおもしろかったです。特に、1969年に、雑誌「諸君」に発表していた「織田軍団か武田軍団か」を何度か読み返しました。この中で特に印象に残ったのが、以下の文章:

  • アメリカ人というのはもともと玄人というものを頭から否定する精神があるんじゃないでしょうか。そして素人が集まって何かやるときの共通項といえば合理主義しかありません。これは理屈に合っている、というのは素人ならみんなが賛成する。玄人の集まりだとそうはいかないことが多い。ここが現代にいたるまでアメリカ社会が他を抜いて進化した一つの要素でしょうか。

日本の政財界のエライ人たちが、愛読書としてあげることが多い、司馬遼太郎の作品ですが、エライ人がしばしば上げる名前であるがゆえに、司馬遼太郎を敬遠している時期が長くありました。でも、司馬遼太郎とは意見が合いそう。たとえば、

  • 「秀吉が死ぬと徳川時代が三百年続くでしょう。これは管理社会などとてもいえたものではない。能率などはどうでもいい。人間をいかに反乱させずに安穏に暮らさせるか、この目的で組織された社会です。」(「織田軍団か武田軍団か」)

    →いくら平和でもこんな社会ではあまり暮らしたくない!

  • 「戦国時代というのは庶民にとって苦しい時代だったろうといわれているけども、決してそうでもなかったようです。戦国時代のほうが明るくて、風通しがよくて、個々人の人生に可能性があったように思いますし、むしろ平和な江戸時代のほうが暗かったような感じです。」(「大坂城の時代」1972年発表)

   →僕にはこちらの時代のほうが(徳川よりも)ずっとおもしろそう! 

「司馬遼太郎が考えたこと」というシリーズが、新潮から全15巻ででています。いつか読んでみようと思っています。