佐野眞一の「石原慎太郎論」

この頃忙しくて、なかなか本を読む時間が取れないのですが、ノンフィクション作家・佐野眞一さん『てっぺん野郎_本人も知らなかった石原慎太郎』を読み終えました。本棚をみれば、佐野さんの本はかなり読んでいて、正力太郎を書いた『巨怪伝』、小渕元総理を書いた『凡宰伝』、『東電OL殺人事件』、無着成恭を書いた『遠いやまびこ』、『紙の中の黙示録』など、10冊ほどはありそうです。

これまで読んだ中で、一番読後の印象が深かったのは、ダイエー創業者の中内さんを扱った『カリスマ』でした。生前、中内さんはこの本をめぐって、佐野さんを訴えていたように記憶していますが、僕はこの本を読んで、中内さんのファンになりました。この本に書かれた、強烈な個性を持ったエゴイストである中内さんには、なかなか引かれるものがあった。

ところが、今回読んだ佐野さんが描く石原慎太郎には、すこしばかりの失望を感じました。(この本が書かれた2003年頃あった石原総理待望論を、かなり意識して書かれている本で、石原さんに対しては厳しい視線が注がれているのですが、それをディスカウントしても、残念な内容でした。)それがなにか、明確になっているとは言えませんが、中内さんが自己矛盾やエゴイスティックなところを持ちながらも、全力で走っていき、ついにはある意味では無残な死をむかえたのに対し(「カリスマ」が出たときには、まだご存命でした)、石原さんの場合には、結局、小説家としても、政治家としても、超一流になれず、中途半端なまま終わろうとしている、という印象を受けるからでしょうか。

8月24日の黒犬通信で書いたとおり、実は石原慎太郎のファンです。