分散型国家とIT

今日の日経新聞・朝刊の「経済教室」に、西垣通先生が、IT文明に適応していくためには、「超多極分散型国家」を目指すべきであると書かれていました。現在のように、一極集中が進んだ日本では、国内があまりに標準化・均一化されすぎ、国民のユニークなアイディアや創意工夫がつぶされる、としています。また、団塊世代の地方回帰が、分散型国家建設の起爆剤になることも期待されています。

IT利用が進むことと、人口の分散化が進むことは、僕もとても関心を持っているテーマです。何年後かには、自分自身のライフスタイルを大きく変えていくためにも、東京以外の仕事の拠点、新たな会社、あるいはオフィスを作れないかと、考えることがあります。

確かに東京はものすごい魅力を持った都市だと思うのですが、この頃は、マイナス面(画一化、均一化、ペースの速さ)を非常に感じるようになりました。

ヨーロッパにしろ、アメリカにしろ、人口50~100万人程度の都市に、世界的な企業が存在し、ユニークな生活空間があります。司馬遼太郎なんかを読んでいると、江戸時代の「藩」の個性を感じます。明治政府がとった中央集権の仕組みは、100年以上にわたって現在にいたるまで、ずっと続いています。(戦争で負けたことで、中央集権が進んだだけでなく、アメリカ一辺倒という、もうひとつの均一化も進んでいます。)でも、この仕組みは桎梏となって、日本や日本人を、どんどん脆弱化させていると、僕は感じています。