黒犬は必需品?!

4620106925.09.THUMBZZZ昨日の日曜日は、曾野綾子さんの新刊小説「哀歌」(毎日新聞刊)の上巻を読んですごしました。上巻は、日本人女性が、修道女としてアフリカの某国で経験する、貧困、飢餓、部族虐殺を通して描かれる、悲しみのストーリーです。以下、上巻から記憶に残った文章です。

 もし人間に不幸がなければ、その人は人間にならない。(中略)多くの日本人、とりわけまだ結婚もしていない「遊び盛り」の若い世代には、驚くべきことに不幸がない。客観的不幸もなく、主観的不幸を発見する能力もない。それゆえに日本人は人間になる機会を失って、基本的に不幸なままなのである。

僕は、曾野綾子さんの熱心な読者ではないのですが、この方のエッセイはよく読んでいます。産経新聞や「新潮45」に書かれている文章、特に、世界の貧困国で、ご自身が見たり、聞いたりした経験をご紹介されている文章は、僕には考える材料になります。

今、本屋にならんでいる「新潮45」4月号にも、「餌をくれない飼主ー貧困の光景(1)」というエッセイが掲載されています。この中で、ブラジルの田舎町の貧困家族が飼っている犬の話がでてきます。自分たちの食べ物さえもないような家族が、仔犬4匹を抱えた母犬を飼っている。家族はまったく餌をあげる余裕はなく、犬たちは勝手にどこかに行って、食べるものを工面しているようだ。そして、曾野さんは、「この一家にとって犬がどれだけ必要なのか」ということに気づきます。

子供たちは、玩具など何一つ持っておらず、裸足で、サイズの合わないシャツを着ている。唯一の玩具と言えば、この仔犬たちで、しかも子供たちは、この仔犬たちを抱えて夜は寝ている。ろくすっぽ蒲団さえもない家では、お互いに体を温めあうための、夜の必需品でもあったのだ。


わが家の黒犬たちは、ちがった意味で、僕にとっての必需品かも知れません。その無邪気さ、陽気さ、ストレートな好奇心で、僕に、毎日の元気と喜びを与えてくれる存在だから。

明日はオフィスのそばの本屋で、「哀歌」の下巻を買います。